世界最強を考える その2(亀田興毅はなぜ強いのか?)

それは、彼が<強い>ということを世間にアピールする方法を持ってるからだと思うんですよ。
勝てる相手との試合をマッチメイクして、それをTVを使って世間にアピールする力を持ってるから、世間は「亀田は強い」という風に認識できる訳ですね。

なにも亀田の試合を八百長とか、そういうことを言ってる訳ではないですよ、<強さ>を形にして表現する手法を持ってるから、世間に<強い>と思わせることが出来るということです。

例えば、中国の山奥に、亀田より全然強い青年がいたとしましょう。
しかし、その青年ははるばる日本にやってきて、亀田という選手と戦って自分の方が強い!と示す手法を持っていない訳ですよね。

それ以前に、自分自身の存在を知らせる方法をもってないから、そんなやつがいることを、僕らは知らない。知る方法がない。

知らないということは、いないということですからね、だから「亀田は強い!」ということになる。

これが「プロモート」という事だと思うんですよ。
つまり、<強い>やつがいるとして、こいつを<強い>と世に知らしめる方法。

以前アントニオ猪木が格闘技世界一を唱っていた時に
「いつなんどき、誰からの挑戦でも受ける」
と言っていたんですが

それこそまさに『プロモート』ですよね

いくらアントニオ猪木が日本で有名と言ったって、世界で考えたら99%の人は猪木のことを知らない。

つまり世界の99%の人は、絶対に猪木に挑戦なんかしない訳ですよ(笑)

挑戦しないということは、猪木に言わせれば「相手が挑戦してこない」ということですから、結果的に猪木は少なくとも世界の99%の人よりもは強いということになる訳です。
言うならば『不戦勝』というやつです。

残りの1%の猪木を知ってる人だって、果たしてほんとに猪木に挑戦するでしょうか?
あるいは「絶対俺の方が強い!」というそこらの格闘家が猪木に挑戦したとして、本当に受け入れられるでしょうか?

つまり、これによって戦わずして猪木は『世界最強』を名乗ることができる訳です。
これこそが『プロモート』ということじゃないでしょうか。

実際に『強い』かどうかではなく、『強い』という風に世間に表すこと。

不戦勝ということで言えば、相撲でも不戦勝というのがありますが、あれだってもし連日相手が怪我などで休場したら、全く戦わずして無敗で優勝!なんてことだって起こりえる訳ですよね。
(まあ実際のルールでそういうことが起きるかどうかは分からないが)

常識で考えたらおかしいですけどね、1回も取り組みをしないで優勝とか

でも相撲というスポーツを『プロモート』で考えるとあり得る訳ですよね。
15日という期間でその場所の『最強』を作り出すのが、相撲というプロモートされたスポーツですから、15日間毎日不戦勝だったとしても、その場所の優勝にはなりえるんですよね。

猪木の場合だって
世界のどっかには絶対もっと強いやつがいるはずだから、探すべきだ!
なんて言っても駄目なんですよね、<挑戦してこない=不戦勝>な訳ですよ。

そうやって『強い』ということを作り出す作業、それがプロモートなんですよね。

これは何も格闘技に限ったことではなくて、他のスポーツでも、あるいは音楽とか映画とかのエンターテイメントでも同じことで、実際に誰が一番強いか、誰が一番うまいか、誰が一番面白いかではなく、誰を『最強』『最高』とプロモートするかということ問題な訳ですね。

つまり、プロモートという観点から『世界最強』を考えた場合
『世界最強』とプロモートできる人こそ『世界最強』ということになる訳です。