世界最強を考える その1(世界で一番強いのは誰か?)

格闘技を好きな人なら、誰でも気になるとこですよね。
結局のとこ、誰が一番強いの?と。

最近はいわゆる総合格闘技と呼ばれるジャンルで、以前よりも、ボクシング対柔道とか、相撲対空手とか、そういう異種格闘技が行われるようになり、昔よりは本当の<世界最強>を決めやすい(?)状況になってますよね。

それでも、やはりルールによる有利不利とかはある訳で、寝た状態の相手への蹴りを認めるかなどなど、試合によっても違いますよね。

着衣にしても、グローブを付けるかどうか、道着を着るかどうか、そんなことでも有利不利があるだろうし、何分何ラウンドなのか、などでもかなり勝敗を左右していると思うんですよ。

つまり、結局は本当の意味での<最強>ではなく、あくまでそのルール内での最強な訳だよね。

ボクシングではキックはしちゃいけないし、相撲では手をついたら負けですが、そこまではっきりした特有のルールではないにしろ、いわゆる総合格闘技だって、結局は特定のルールの中での最強でしかない訳です。

じゃあ、本当になんのルールも無しに<世界最強>を決めたらどうなるか?

例えばお互い真っ裸で、リングの上で「なんでもあり」で戦うとしたら、どんな人が最強なのか?

しかし、これでもまだリングというルールがあるでしょ。

リングが広ければ、すばしっこい方が有利だろうし、狭ければ多少動きが遅くても重圧のある選手の方が、相手をしとめれますよね。

ということは、これも厳密にはノールールにはあたらない。

じゃあ、例えば体育館くらい広いとこで裸の男同士が戦ったらどうでしょうか?

それでも微妙に広さの制限がありますよね
そしたら、東京都くらいの野原で戦かったらどうでしょうか?
もちろん何分何ラウンドなんていうルールも無しに、全くのノールールで。

こうなってくると面白くなってくる。
例えば、最強と呼ばれている格闘家と陸上選手が戦ったとしたら、おそらく陸上選手はさっと逃げてしまうでしょう。
そしてどんなに格闘家が追いかけても、陸上選手に追いつくことはないでしょう。

そうなると、これはもうスタミナの勝負というか、もっと言えば寿命の勝負になってくる。

あるいは、陸上の選手が逃げて逃げて、格闘家が疲れて眠った時に、近寄って来て急所を一撃!で、意外と陸上選手が勝ったりするかもしれないですよね。

そんなの格闘技じゃない!

と思うかもしれませんが、どんな格闘技にもスタミナや戦法というのがある訳で、これだって立派な戦法な訳ですよ。

逃げながら相手のスタミナをロスさせて、疲れたところで一発!
これだって立派な戦法な訳です。

あるいは、口のうまいやつが勝つ、という可能性も考えれます。

「ファイト!」というかけ声の直後に、相手に「ちょっと待てよ」と話しかけ、「俺たちなんでこんな戦いしてんだよ?」などと言い寄って、「こんなことしてお互い殺し合うくらいなら、協力してここから抜け出すアイデアを考えようぜ!」なんて付け入って、すっかり仲良くなっておいて、相手がすっかり仲間モードで安心した時に、スキを狙って急所に一撃!

これだって立派な戦法ですよね。

そう考えると、本当に「なんでもあり」のルール無しのファイトをした場合って、意外と僕らが思ってるいわゆる格闘家が世界最強になるとは限らないですよね。

さらに言えば、会場がいわゆるリングや広場じゃなかったら、例えば無人島みたいなとこだったら、
そこにある物を利用して、武器を作れたやつの方が、素手でどんなに強い相手に対しても、圧倒的に強いですよね。

さらに言えば、そんな無人島ですらなく、今すぐこの日本でルール無用で最強を決めます!ということになったら。
もうそうなったら、肉体的な強さなんて関係なくなってきますよね。
武器はもちろんですが、それ以上に、政治力だったり、財力だったり、生きる知恵だったり、人間関係だったり、、、

意外とそう考えると、世界の勢力図とかも、元はと言えば、二人の人間がいて、どっちが強い?っていうのから始まって、どんどんルールや戦う場所、技術や知恵が拡大してったって感じもしますよね。

人間は元々猿だった訳で、猿の世界は強いオスが腕力のみでその縄張りを統制する訳ですから、それが徐々に発展していき、知恵を付け、道具を使うようになり、生命力を養い、、、ってなった結果が、今の人間社会の勢力図になってるのかなと。

蛇足ですが、勝ち=生・負け=死、という根本の考え方から言えば、沖縄辺りの長寿の人達が、実は世界最強と言うこともできる訳ですね。