ピアノレッスン

その昔、僕がまだ大学生だった頃、一時期小学生の男の子にピアノを教えていた事があるんですよ。
ピアノの先生やってたって言うと、なんかかなりピアノがうまかったみたいに聞こえるけど、本当は人に教える程ピアノはうまくなかったんですよ。
ただ、その当時僕のピアノの先生から「雄飛君、今度小学生にピアノ教えてみない?」って誘われて、なんとなくバイトとして引き受けたんですよ。
 
僕がそのバイトを引き受けた理由のもう一つは、相手の子がいわゆるクラシックをちゃんと教わる気がなくて、もっと気楽にピアノを習いたいという希望だったから、それなら僕でも教えれるかな?と思って引き受けたんですよ。おそらくそのバイトを僕にふってくれた先生自体、この位なら雄飛君でも教えられるだろうというのがあって、自分でその子に教えずに僕にバイトとしてふったんだと思う。
「学校でも先生が手を焼いてる位ワンパクな子」という触れ込み(?)も僕がその子へのレッスンを引き受けた理由の一つで、そんなヤンチャな奴でも音楽を習いたいっていうなら、ぜひとも俺が教えてやろうっていう感じがあったんだよね。
言わば、それまでの僕と同じ状況というか、僕もなぜかピアノだけは小学生の頃からずっと習ってたけど、じゃあいわゆる優等生やエリートみたいな子供だったかっていうと、全く逆で、むしろ学校ではかなり問題児の方で(高校の時なんか、ある事件で生活指導の先生に呼び出されて、個室で「はっきり言うと、東京の高校全部の生徒のブラックリストっていうのがあって、それにこの学校では君の名前が載ってるんだよ」って言われた事があったなあ・・・てかそんな事はっきり生徒に言うなよ!っていうね)、そんな訳でいわゆる優等生じゃないキッズがピアノを習いたいっていうなら、ここは一つ僕がお手伝いしましょうか、という気持ちがあった訳ですね。
という事で、僕は大学在学中の2〜3年程、おそらくホフディランを始めてからも少しの間、一応ピアノの先生という実に社会的には良い響きのある肩書きを持っていた事があるんですね。そしてその生徒とのピアノレッスン中に起きた様々な出来事っていうのは、とうてい普通のピアノレッスンでは起こり得ないような、実に面白い、そしてバカバカしい事だったのです。
 
<始めに>
『落ちこぼれ生徒と熱血教師のピアノ奮闘記』を期待されてるかたは、ぜひとも読まないで頂きたい。
これから語る物語の数々は、本当にしょーもない、ピアノそのものとも関係ないような、実にアホらしい生徒と教師の物語なのです。
 
僕がまだ大学生だったある日、まず正式にレッスンを行う前に、一度その子の要望やら今後のレッスンの流れというのを決めるためにその子の家に行く事になり、僕は車でその子の家に向かいました。
その子の家は当時渋谷の南平台にあって、僕の家からもほど近い場所にありました。
しかし、初めて人にものを教える(それもお金をもらって)という僕にとっては、初めて向かうその子の家までの距離がすごく長く感じたのを覚えてますね。
 
きっと色々考えてたんでしょうね、どうやって教えていこうかとか、あるいはそれ以前にどんな接し方をしようか、名前で呼ぼうか、名字で呼ぼうか。いかにも先生らしくしてた方がいいか、それとももっと兄貴っぽくフレンドリーに行った方がいいか・・・・。きっとそんな色んな事を考えていたんでしょう。とにかく相手は学校の先生が手を焼いている位のヤンチャな子供だから、それなりにこっちもかまえて行かないといけないなと。
 
やがて、その子の家に着くと、お母さんが迎えてくれて「どうも先生わざわざすいません」って、この時点で「おお!!俺もついに先生だよ!!」って嬉し恥ずかしな訳ですね。今でももちろん「先生」なんて呼ばれる事はないけど、当時大学生だった僕が「先生」って呼ばれる事は、それこそない訳だからね、これはかなり新鮮な響きでしたね。
そして居間に通されて、「もうすぐ学校から帰って来ますからちょっとお待ち下さい」と、その子が帰って来るまでの間にスケジュール的な事やお稽古代(つまりギャラだね)とかの話をお母さんとして、お茶菓子かなんか出されてね。
このお茶菓子っていうのがまたいいんだよね、なんかいかにも先生っぽい対応のされ方というかね、ちょっといいでしょ。友達の家なんか行っても「冷蔵庫にビール入ってるから、勝手に出して飲んでてー!」でしょ。それが「先生、どうぞ」なんて言われてお茶にカステラかなんか出されるっていうのね、ちょっといいでしょ。それをまたちょっと偉そうに食べたりする。口元に手を当てたりしてね「うーん、美味しいカステラですねー、長崎のですか?」とか訳の分らない事を言ったりしてね。「やっぱりカステラは長崎ですかねー」なんていうまたどうでもいい話を続ける。これこそ先生の醍醐味な訳ですね。あと御中元とかさ、「今年も美味しいハムを送って頂き、ありがとうございます。」なんてね、言ってみたいっしょ?
 
完璧に話が横にズレてしまいましたが、要はお茶菓子かなんかを食べつつ(実際にそれがカステラだったかどうかは全く記憶にありません・・・)、その子が来るのを待ってたんですね。そして遂にこれから僕の生徒となる子供が家に帰って来ました。
帰ってくるなりお母さんに「こちらが今度ピアノを教えてくださる小宮山雄飛先生よ」なんて紹介されて、「よろしくお願いします」とペコリと頭を下げたその子は、どう見てもヤンチャな問題児には見えない。どちらかというとおとなしそうというか、妙にナヨナヨしてて、むしろワンパクの正反対に位置しているとしか思えないやつだったんですよ。
いかにも気の弱そうな感じで、背は高いんだけどヒョロっとしてて、鼻の頭に恥ずかしそうなニキビなんかがあって、いわゆる普通のおとなしい子供って感じなんですよ。
 
こっちとしては「学校の先生も手を焼いてる子」という触れ込みで、すっかり勝手に『積み木くずし』みたいなストーリーを考えてた訳で。そんな子をピアノを通じて真っ当な世界へと導いてった、ある熱血ピアノ教師の物語。そんな、TBSが80年代にやたらとドラマ化していたようなストーリーを勝手に考えてた訳ですよ。いずれこのエピソードで本でも出してやろうと思ってた訳ですよ。
そしたらやって来たのは、実におとなしそうな、むしろもっとシャキシャキした方がいいんじゃねーか?っつー感じの小学生で、ちょっと肩透かしにあったような気分でしたね。
という訳ですっかり自分の中でのストーリー変更を余儀なくされた訳ですが、そんな彼との間に、この後すさまじくもアホらしい経験の数々が待っていようとは、その時点では全く気付くよしもなかったのです。
 
<つづく>