理由

アメリカに居ると色んな事の『理由』というか『根本』みたいのをすごく考えさせられる。特にちょっと長めの旅行とかで1ヶ月〜2ヶ月位(定住しているという訳でもないが普通の観光旅行よりははるかに長い位の期間)居ると特に考えさせられる。
 
それはどういう事かというと、日本って結構社会の流れみたいのがあって「普通はこうするものだ」みたいな見えないルールみたいのがすごくあるでしょ。つまり中学校を出たらとにかく高校に行って、行けるのであればとりあえず大学に入る、みたいな流れとかね。サラリーマンはこういう服装をするべきだ、とかね。日本的な気質がそういう見えないルールというか一般常識みたいのを作っているんだろうけど、とにかくそういう「はっきりした理由は分からないけど、そうするのが普通なんだ」みたいなルールとか流れとかが本当に一杯あるよね。それと、僕ら自身生活に慣れてしまっているからいちいち物事の理由とかそういうのを考えなくなってしまっている。「なんでこれはこうなんだろう?」とか考えなくなってる。男女の事とかでも「普通付き合ってるっていうのはこういう風にすべきなんだ」みたいな感じで色々してたり、だからそういうハウツー雑誌みたいの異常に多いじゃない、「初めてのデートではこうしましょう!!」みたいのとかね。
 
でもアメリカに行くといつも感じさせられるのは、みんながみんなちゃんと理由があって行動しているって事なんだよね。例えば大学とかもさあ、日本みたいに「なんとなく」行ってるやつってあんま居ないんだよね。「私は映画の勉強がしたいからこの大学のこの学科に入りたい」とか「私はビジネスでこんな事がしたいから、今の会社を一旦やめてどこどこのビジネススクールに入って、卒業したら再びどこどこの会社に入る」とかさあ、とにかくみんな理由がしっかりしている。
 
それは何も進路とかそういう真面目なとこだけじゃなくね。週末にどこに遊びに行くとかさあ、そういうのでもちゃんと「私は今週はこういう音楽を聴いて誰々と楽しみたいから、どこどこのクラブに行く」とかね、ほんとちゃんとそこに『理由』があるんだよね。なんとなく面白そうだからとか、最近流行ってるから、みたいなのではあんまり行かないんだよね。だから車に乗ってラジオ聴くのでも「今日はこういう気分でこんな音楽を聴きたいから、どこどこの局にしよう」とかそういうので選ぶんだよね、あんま日本でそうやってちゃんとラジオとか選んだりしないじゃん、でもアメリカではホントちゃんと自分の趣味でラジオステーションとかも選ぶ。みんなちゃんと自分のしたい事があって、その結果としての行動なんだよね。だから生活パターンっていうのもホント人各々で、自分がやりたい事をやりたいやり方で進めてる。街で人々のファッションを見てても、ホントみんな自分の主張というか、趣味とかがハッキリ出てて、要するに「俺はこういう趣味なんだよ!」っていう、その服を着ている『理由』がちゃんとそこにある。
 
これは1人でアメリカに行くと本当に身を持って分かるんだけど、なぜなら1人でアメリカとか行くとやっぱり全ての行動にしっかりした『理由』がないと駄目なんだよね。つまりさあ、例えば電話とかでも日本に居たらなんとなくかかってくるし、逆にこっちからもなんとなくかけたりするけど、アメリカに1人で居たらそうはいかない訳でしょ。電話かけるのでもそこにちゃんと「○○と△△について話したいから」電話するという理由が明確にあるんですよ。何をやるにもはっきり「俺は今日こんな事をしたい」とか「俺は今日何処どこに行きたい、なぜならそこで○○を見たいからだ」なんていうはっきりした理由とともに自分で行動しないと別に誰もなんとなーく連れてってくれたりしない訳ですよ、一人で居たら。他の人と居たってやっぱり自分のやりたい事・意見をはっきり言わないと向こうの意見で動かれちゃう。
 
僕は昔からアメリカによく1ヶ月単位で旅行に行ってたんだけど、いつもそうやって自分の『理由』を確認出来る、というかさせられるのが最も大きな旅の目的ですね。例えばアメリカに1週間も居るととにかく音楽をやりたくなるしピアノを弾きたくなってくる。日本では僕はもう仕事として毎日そんな事をしているからそれがすっかり当たり前になってしまってる。それがアメリカに行って「ピアノ弾きて〜〜!!」とか思うと「ああそうだ、俺はもともと音楽が大好きでミュージシャンになったんだ」「仕事とかそういう以前にピアノを弾きたいから弾いてるんだ」っていう根底にある『理由』を再確認できる。なにをするにもその根底にちゃんと「○○をしたいからするんだ!!」っていう理由がハッキリしてくる。
 
アメリカの映画館で映画を観ると、面白いシーンではみんな大笑いするは拍手するは、逆につまらなかったり個人的に嫌いなものに関してはブーイングするは、まあとにかくやっぱハッキリしてる。そういう場合でも「なんとなく」映画を楽しみに来たなんて甘い感じじゃないんだよね、面白ければ笑うしつまらなければブーイングするというはっきりした『理由』とその結果の『行動』があるんだよね。だから例えばそこらのレストランとかでの注文とか聞いてても、ホント自分の好みをはっきり言う奴多いからね「卵は一つは目玉焼きで、一つはスクランブルエッグにして塩はかけないでくれ。コーヒーはノーファットミルクを入れて、砂糖はダイエットシュガーをくれ、、、、、云々」っつー感じ。やっぱりそこに「私は今これをこうやって食べたいんだ!!」という明確な『理由』がある。
 
日本に帰って来て本当に思うのはそういう『理由』っていうのがみんな無い、というか有ったんだけどちゃんとそれを考えたり表したりしないでいる内にもう全然分からなくなってる。なんとなく働いてる人、なんとなく学校に行ってる人、なんとなく生活してる人がほとんどなんだよね。もちろんなんとなくだからって不真面目って事じゃないよ、ちゃんと真面目に働いたり勉強したりしてる。でもそもそもの「なんでそうしてるのか?」っていう『理由』を忘れちゃってる。例えば君がそもそも「家族を楽させたい」という理由で働き始めたとする、そしてしっかり真面目に働いて働いて偉くなってお金も沢山入ったとする。でも君はもう最初の理由を憶えていない。それどころかどんどん働いて忙しくなるに連れてもう家族にもあまり会わなくなる。それで一体何の意味があるのだろう?僕の周りにもそういう『理由』を失っている人達が沢山居る。正直言ってそういう人達とはあんまり一緒に仕事したくないんだよな、、、、、、僕までその『理由』を忘れそうになっちゃうから。