TALK SHOW by Yuhi Komiyama

N.Y.

N.Yに行くと、いつも色々な日本人の知り合いに会う。
そこがN.Yという街の不思議なとこで、日本にいるよりよっぽど多くの知り合いに道でばったり会ったりする。それだけ在米の日本人がN.Yに多いという事なんだろうけど、それ以上にN.Yという街には人と人とを結び付ける不思議なパワーがある気がします。
先日N.Yに行った時には、幼稚園時代の友達でもう20年近く会ってない友人に会い、同じく10年ぶりくらいの親戚の女の子とも会った。
そしてもう一人、F.C.HOME RUNのメンバーでありミュージシャンであり、1年半をかけて世界一周の旅をした真の旅人でもあるナオトという友人と会った。

彼がいかにすごい旅をしてきたかの詳細は彼のホームページなりを見てもらった方がいいのでここでは省略しますが、とにかくすごい男なんです。
世界中を旅するバックパッカーというのはよくいるけど、彼がよくいるバックパッカーと根本的に違う点は目的がはっきりしてるというとこで、世界中を旅して自分の経験を増やしながらも、それはあくまで日本に帰ってからの自分の音楽のためということだった。
そういう目的がなく、結局アジアのどっかで毎日マリファナ吸って酒飲んでダラダラ生活してしまうようなバックパッカーは沢山いるけど、ナオトはしっかりと目的を持って旅に出て、しっかりと経験を積んだ上できっちり予定通りに旅を終えようとしていた。
彼が1年半に及ぶ旅の最終地点としてN.Yに来ているという情報を得たのは、僕がすでにN.Yに着いてからだった。同じくF.C. HOME RUNの田中ゲンショーさんからメールをもらい、「なおとがN.Yに居るみたいだから、連絡してみたら?」とメールアドレスをもらった。
さっそくメールをして、次の日にはN.Yの居酒屋で会う事になった。
1年半世界中を旅してきた男の最終地点としてのN.Y、しかも日本への帰国の前々日だった。そんなタイミングでナオトと会える事がものすごく楽しみだった!
1年半前、まさに出発直前に会ったナオトとどこが変わって、どこが変わってないか?、それ以前に1年半世界中を一人きりで旅した男が最後に思う事、最後に感じる事はなんなのか?そんな事を最後の地で本人から直接聞けて、その空気を一緒に味わえる事は、僕もそれなりに旅をしたことのある人間として、ものすごく楽しみで実に光栄な事だったのです。

ナオトとはASTORにある和風居酒屋で『けんか』という、死ぬ程安い店で会ったんだけど、その入り口で席が空くのを待ってると、日本人の若い男の子数人が「雄飛さんですよね?」と声をかけてきて、「俺、ホフディランのオールナイトニッポンの最終回で優勝したんですよ!!」という。
「ん?優勝? オールナイトニッポンで優勝とかそんなんあったか??」と思って聞いてみると、「最終回に一番遠くから電話をかけたリスナーが優勝っていうのやったじゃないですか」と。
そうそう!スタジオの電話番号を生放送で教えて、そこにかけてきた電話のなかで最も遠い所からかけてきたリスナーが優勝っていう企画やったやった。
こっちの番号を教えて全く打ち合わせもなんもなくかかってきた生電話をつなぐ訳だから、それこそいきおいで放送禁止用語でも言われたら大変っていうかなりゲリラ的な企画を最終回だからやったんだよね。
当然電話はパンク状態なんですが、運良くつながった人も最初の内は「世田谷です」とか、「神奈川です」とか正直に今の場所を答えてるんだけど、そのうちこの企画の本当の主旨を理解してきて「アメリカです!」とか「ブラジルです!」とか「月からかけてます!」と滅茶苦茶な事を言い出す訳。内容的に1回しか出来ない企画だけど、すごく面白かったんだよね。

という訳でその企画を思い出して、「あったあった、あれで優勝したんだ!で、どっからって言ったの?宇宙?」と聞いてみると、「いや、起き抜けにパっとかけてみたら突然つながったんで、ビックリして<夢の中からです>って言ったら、そこで優勝になったんですよ!」って。
なんか良い話でしょ?
そんな彼と偶然N.Yの居酒屋で遭遇した訳ですよ、彼と一緒にいた友達も「多摩川レコードからファンです!」って言ってくれて、みんなでそこで記念撮影「パシャリ!」と。

僕その時にほんと不思議だなって思ったんですよね。世界1周をしてきた友人に偶然にもその最終地で会い、その再会の居酒屋で『ホフディランのオールナイトニッポン』のリスナーに偶然会って写真を撮る。

なんかすごく幸せだったんですよね、そういうつながりや、僕自身がミュージシャンになった事なんかが。
僕がミュージシャンになってなかったら、そういう事なかった訳でしょ。オールナイトニッポンのリスナーなんてもちろん存在してない訳だし、ナオトとの出会いもF.C. HOME RUNというミュージシャンのフットサルチームだったので、元々僕がミュージシャンじゃなかったら世界を旅したナオトとN.Yで会う事すらなかった。
ひょんなことから、N.Yで「ミュージシャンになって良かった」と心から思った訳です。

ミュージシャンというのは音楽を作る事が仕事ですから、やはり一番の幸せというのは曲が出来た時、アルバムが完成した時、ライブが成功した時なんかに感じる訳ですが、それとは別にというか、ある意味もっと根源的な部分で、やはりこういう『つながり』っていうのを感じた時って人としてすごく嬉しいんだよね。
音楽を通して出来た『つながり』を実際に自分で感じれた時、それは本当に幸せな訳です。

ミュージシャンになってホント良かったなあ!とその夜は実感して、そしてこれからもどんどん僕は曲を作って、転がり続けてやるぜ!と思ったのです。一般的な意味での「売れたい」というのとは別に、世界中にこの『つながり』を作りたいという意味でやはりもっともっと「売れたい」し「聴いてもらいたい」と思った訳です。
10年後20年後に世界のどっかの国で「雄飛さんの曲聴いてました!」とかさ、そういう出会いってやっぱすごいじゃない!!
自分がミュージシャンとしてやって来た事の意味を感じることの出来たN.Yの貴重な夜だったのです。

<2014年のあとがき>
これはちょうど10年前の2004年の文章です。
文中に出てくるナオトとは、今や超売れっ子になっているナオト・インティライミのことです。
ナオトとはこの後も、これからの仕事どうしようとか、事務所どうしようとか、初の武道館やりますとか、この10年わりと重要なタイミングごとに連絡がきて、その都度色々と変わる状況の中でどんどん活躍していくナオトを誇らしく見ていました。
この日N.Y.でナオトと会ったことは、今でもその時の気温とか匂いとか空気感を全部思い出せるくらいに鮮明に覚えていて、10年経って変わらないものと変わったもの、月日の早さを不思議に思いますね。
10年前のN.Y.のあのファンの男の子は一体今どこで何してるんだろう?
彼には彼の10年がどこかで流れている、そういうの考えると楽しいですね。