小宮山雄飛

ホフディラン待望のニューアルバム『Island CD』のリリースを記念して、ワタナベイビーと小宮山雄飛のソロインタビューを敢行。
前作からアルバムに至るまでの道のり、それぞれの楽曲が生まれた日々の思い、ホフディラン&相方への愛と欲望をたっぷり語り尽くす!

ずっと輪廻転生みたいなテーマがある

アルバムの話はいつぐらいから出始めたんでしょう?

曲作りが始まった時期は、『デジャデジャブーブー』ができた2019年の終わり頃ですね。ただ、今はリスナーも基本一曲単位で音楽を聴く時代だし、最初からアルバムを作るというよりは、日々いろんな形でコンスタントに作品を発表していって、その先にアルバムがあればいいなと僕は思っていて。逆に、アルバムを作るなら、選曲も曲順もジャケットもちゃんとアルバムとしてトータルに考えられたパッケージのものがいいなと思うし。最初にアルバムを作ることが決まってると、曲数が足りなくて無理やり作るといったことも出てくるので、今回は自然な流れで、自分たちが入れたい曲がぴったり入った、すごくいい形のアルバムが作れたと思います。

SEに続くオープニング曲『生まれ変わり続ける僕たち』は、今のホフディランを象徴するようなワクワク感あふれるナンバーです。

実はこの曲のベースは7年前にできてたんです。そもそも僕自身がずーっと輪廻転生みたいなことを考えていて、基本的にずっとそういうことを歌ってるんですが、世の中的にもちょうどコロナがあって、いろんなことが生まれ変わるみたいな状況になったので、今出したらちょうどいいかなって。歌詞も今の時代にあわせて少し描き直して、タイトルもストレートに付けてみたら、結果としてアルバム全体を象徴する曲になりました。

『生まれ変わり続ける』というフレーズは、今回ベイビーさんの『キミが生まれたから』にも登場しますが、過去も未来も超えて繋がっていくみたいなテーマは『恋はいつも幻のように』『欲望』『極楽はどこだ』など、ユウヒさんの曲に通底するテーマですね。

死とか、生まれ変わるとか、巡っていくとか、みんな当たり前に考えることだとは思うんだけど、基本的には常に、そういうことを考えてますね。僕、食べ物を残したり、電気をつけっぱなしにしたりするのも苦手なんですよ。なんでだろう? 通ってた幼稚園で命をいただいてるんだから粗末にしてはいけないみたいなことを、わりと明確に教えられたし、母親もそうだったからかな。小さい頃からそういうことが自然に染み付いていて、車に乗っていても、このガソリンはどこから来るんだろう? なるべくアイドリングをしないようにしようと考えたり、仮にペットボトルを買うことがあったとして、半分残して捨てたら、なんらかのしっぺ返しが来るだろうとか思っちゃう。

それはユウヒワールドを読み解く上でも興味深いですね。『長い秘密』とか、恋愛の最中にいる二人を別れた未来から振り返るような俯瞰した眼差しが、ユウヒさんの曲には常にあって、そこがまた切なくてグッとくるんですが…。

そういう考え方がいいとは全然思わないんですけどね。でも、僕はそういうタイプで、常に先のことを考えちゃうみたいなところはあります。全然スピリチュアルな人間ではないし、守護霊とかも信じてないんだけど…。あ、でもここ数年、辛酸なめこさんとスピリチュアル系のWEB連載をさせてもらっていて、ちょうど9月に本が出るんですけど、そこでいろんな勉強をさせてもらったので、その影響はあるのかも(笑)。

新しい「孤島」時代を生きる

『病に臥して』は、コロナがきっかけで生まれた曲ですよね。

まさに僕がコロナに感染して、当時の規定で十日間ぐらい、家から出れない日々を過ごしたことから生まれた曲です。コロナになって、家や病院に二週間近く一人でいたら明らかにモードが変わって、それまでの日常を振り返って幸福論的なものを考えたり、少なからず達観するんだろうなとは思っていたんですが、まさにその通りで。

コロナをきっかけに自分にとって大事なものがクリアになったという人は少なくないですが、ユウヒさんの場合は?

僕の場合、幸いなことに症状は重くなかったので、そこそこ元気な状態でただただ孤独と向き合うという経験をして、社会と自分みたいなことをすごく考えましたね。僕、以前ブームになった『嫌われる勇気』ってアドラー心理学の本が好きで、彼は対人関係の中の自分だけでいると、本当の自分の人生を生きられない。だから、他人が関係しない自分だけの主観的世界に生きることが重要だと言っている。でも、それと同時に、彼は人は対人関係にのみ存在があるとも言っていて。確かに人は他人がいるから自分を認識できるところが大きい。そういうことって頭では理解しても、なかなか実感できる機会はない。それがコロナで否応なく他人と隔絶されたことで、初めて個としての自分みたいなものをクリアに意識できたし、同時に、他人がいないと自分って透明人間みたいなもので存在しないのと一緒なんだなって、人のありがたみを感じることもできたんです。

他人が関係しない自分と、他人と共にある自分。両方のバランスが重要なんでしょうけど、普段はその違いすら、なかなか意識できませんよね。

それこそ山奥に籠るとかしないと、なかなか気づけないですよね。でも人って本来、最初の単位は個で、そういう個/孤島がいっぱいあるのが社会でもあるよなとか。そういうプチ体験が自然に今回のタイトルにも繋がっていきました。

しかし、まさかコロナに感染したことが曲やアルバムタイトルに繋がるとは、不思議ですね。

コロナに感染した時期は、ちょうど歌入れをする予定だったんですが、体は元気だったのに喉だけがやられちゃって声が出なかったんです。もし喉が大丈夫だったら、そんなことを考えることもなく、家で普通に歌入れをしていたと思うので、『病に臥して』も生まれなかったし、アルバムのタイトルも違ったかもしれない。やっぱり、すべてが繋がってるなと(笑)。

音楽も食も、当たり前に自分とあるもの

コロナによって音楽業界では苦境を強いられた人も多かったわけですが、ホフディランとしてはネガティブになることはありませんでした?

コロナが始まった2020年の2月とかの段階では、なんとなく二、三ヶ月で終わるんじゃないかというムードも世の中的にはあったけど、僕らはその時点で、これは長くなるよという情報を仕入れていたので、1年後2年後を見据えて、いろんなことができるように体制を整えようという話をスタッフとしていたんです。僕自身、ちょうど2020年の1月に武漢の近くにひとり旅にいく予定をしていて。結局、コロナが出たのでキャンセルしたんですけど、もし行ってたら大変なことになってたなと思ったこともあって、わりと早い段階でコロナを受け入れて、冷静にやれることをやろうという方向にシフトできたと思います。

そういうスタンスはベイビーさんも共有されていたんでしょうか?

渡辺くんはどうだろ。彼は奥さんが非常に厳しいので(笑)コンビニも行かせてもらえないと言ってましたね。まだお子さんも小さいし、そういう意味でも早い段階で無理に動こうとはしてなかったと思います。

お話を伺っていると、この数年間のいろんなことが、すべていい形でアルバムに繋がった気がします。

だから最近は、来月のライブが中止になった、ぐらいのことでは焦らなくなりましたね。逆にホフディランのことも含めて、10年後に音楽業界がどうなってるだろうとか、エンタメ自体がどうなってるだろうみたいなことは、すごく考えてます。本当はその瞬間、瞬間を楽しめる人の方が正しいと思うんだけど、僕はどうしても10年後の心配をしてしまう。全然ロックっぽくない(笑)。

ベイビーさんは音楽しかできないタイプの人ですが、ユウヒさんは何でもうまくやれるタイプの人ですよね。そんなユウヒさんにとって音楽はどういう存在なんでしょう?

僕は子供の頃からずーっと音楽をやってるんですね。だから、音楽は良くも悪くも家族みたいなところがあって。普段わざわざ家族について考えないし、日々友達とかといろんなところに遊びに行ったり、その時々で彼女もできるけど、必ず家族のところに帰ってくる。だから多少離れても縁は切れない。当たり前にずっと一緒にいるので、いまだに音楽を仕事とは考えてない部分すらありますね。

最近は食関係でメディアに出たり、渋谷区観光大使をされたり、音楽以外での活躍もめざましいですが、それは友達みたいな?

どうですかね。食に関しては、子供の頃からずっと食べることが好きで、今日は何食べようって日々ずっと考えてる(笑)。仕事はあくまでその延長線的な感じ、美食評論家でもなければ、シェフになる気もないので、そういう意味では音楽と近いのかも。

interview by Keiko Iguchi