旅先の寅さん

飛行機で『男は辛いよ 浪速の恋の寅次郎』を観た。
旅の途中で観る寅さんは効く!
 
特に僕らみたいな、堅気じゃない商売をしてる人間には、効くんですよホント
 
実際、僕は親戚から「放蕩息子」と呼ばれた事があるけど、まあそうですよね・・・
 
にしても、小学校2年生の従兄弟(女の子)に指差されて
「放蕩息子!」
と言われたのはいかがなものでしょうか?
 
まず、そんな言葉を小学校2年の娘が知っている事自体がおかしい!!
 
さらにその言葉の意味を理解した上で、俺を指差して
「放蕩息子!」
と呼ぶ事がさらにおかしい!
 
おそらく、その家庭でなんらかのタイミングで『放蕩息子』っていう単語が茶の間の会話に出て来て、その子が「お母さーん、放蕩息子ってなにー??」なんつー感じで聞いたのに対して、その親が「ああ、雄飛兄ちゃんみたいな人のことだよ!」と教えた以外考えられない訳です。
そうじゃなきゃ、小学2年生がいきなり俺を指差して「放蕩息子!」なんて言うはずないのです。
 
恐るべし、親戚の世界!
 
全くいつどこで何を言われているか分かったものではありません。
 
まあ、そんな訳で、そんな自分の環境がやはり寅さんにオーバーラップする訳です。
 
普段でもそうですが、一人で旅行中の飛行機なんかで観ると、これまた完璧にマッチングをする訳ですよ。
 
僕は寅さんシリーズを全部網羅しているほどのマニアではありませんが、半分くらいは観てるかな?
昔はべつになんの気なしにTVでやってれば観てるっていう感じだったんだけど、なんか最近になって妙にグっとくるようになって、自らDVDを借りて観るようになりました。
 
究極のマンネリなんですけどね、なぜかそれが自分の涙を誘うようになってきたんですよ。
 
つーのもね、結局人生でも自分自身でも、全然変わらないとこあるでしょ。
それどころか、変わったと思ったらすっかり元に戻ってたなんてことあるでしょ。
 
そこがゴールかと思ってたら実は出発点に戻ってた、みたいなこと。
 
結局は、毎日そんな感じだなって思うんですよ。
そんな日々にふと寅さんを観ると、なんとも切なくなる訳です。
 
そういう変わらないことを良しとして受け入れて続けている人がいて、それを取り巻く同じく変わらない人達がいる。
 
べつにそれに慰められる訳でもなく、勇気付けられる訳でもなく、ものすごく共感する訳でもないんですが、『変わらない事』の切なさや儚さにふと気づかされるんでしょうね。
 
旅から帰る飛行機の中で寅さんを観ると
「で、俺はこの旅で、何か変わって帰ってきたのかな?」
なんて、ふと思ってしまう訳です。
 
寅さんがこの作品で結局またおんなじことやってて、おんなじ所に戻って行ったように、今日本に戻る飛行機の中の俺も、この旅で色々あったけど、結局なんか変わったのかな?って。
 
「変わらないこと」を受け入れるべきか
「俺は変わった!」と言い張るべきか
 
そんなことをふと空の上の『男はつらいよ』で考えさせられるのです。