虫に学ぶ

この間、部屋の窓の外側に、謎の虫が張り付いていた。
アメンボみたいな感じなんだけど、ここはマンションのけっこう上だし、そもそも水面じゃないし、アメンボってことはないだろうと。
羽の大きな蚊みたいなのいるでしょ、あれかなとも思ったんだけど、どうもよく見るあいつともまた違う形。
 
とにかく、見た事ない妙な虫が窓に張り付いている。
 
こやつがまた、何をする訳でもなくジーっと窓にへばりついてるんですよ、小1時間くらい。
 
その姿を見てて「こいつ、何してんだろ?」と当然のごとく思った訳です。
 
忙しいサラリーマン達が汗を流しながら街中を営業で廻り、TVやラジオからは絶えず新しい情報が流れ、学生は勉強し、フリーターはバイトし、出会い系サイトに一途の望みをかける中年はせわしくメールチェックし、中国人は一生懸命反日を訴えてるこの世の中で、この虫は一体この窓に張り付いて何してんだ?と。
 
蜂や蝶が花にとまってるというなら、まだ分かります。蜜を吸ってんだなと。
あるいは蚊が人間にとまってるんだって、ウザイけど分かります。生きるためだから向こうも必死だろうと。
 
しかしこの謎の虫がガラスにとまって、ジーっとしてる行為には、どうしても生産性を感じられない。
実際、なにも生み出していないでしょう、きっと。ガラスから何の栄養も出なければ、この虫もガラスに何かを与えてる(蜂が花粉を運ぶような相互関係)とは思えません。
 
一体こいつは何のためにここにいて、なんのために生きてるんだ?
と疑問に思ってしまったのです。
 
しかしこの虫を小1時間も見てると、むしろこれこそが生きるということなのかも、と思えてきてしまったのです。
 
本当に街中をあくせく営業で廻ったり、たえず情報を流したり、出会い系サイトをチェックしたり、反日運動をしたりする必要はあるんだろうか?と。
いや、それが悪いとは言いません、皆さんそれぞれの理由があってそうしてるのです。
しかし、ただひたすら窓に張り付き、余計なことを一切しないこの虫こそが、生きるというたった一つの目的のためのみに生きている、最も純粋な生き方をしてるんじゃないかと、そこまで思ってしまったのです。
 
こんなことしてたって、営業成績は上がらず、世の中の新しい情報はキャッチできず、可愛い女子高生とは知り合えず、日本の戦争責任を問うこともできません。しかしそれでもしっかり生きてる訳です、この虫は。
(おそらくこの虫がへばりついてるのは、ただ外回りの営業をさぼってるのではなく、確固たる生きるための理由があってこうしてるのでしょうから)
 
とはいえ、人間が全員この虫のように窓にへばりついて過ごしてたら、僕らの社会は機能しないでしょう。
だけど、「たまにはゆっくり腰を下ろして、周りの景色でも見てみないか」(小宮山雄飛名曲シリーズ・さいきんぼくは)というのも大事だろうなと。
あ、でもあの曲は額に汗して生きてる人達を賞賛する曲だから、ちょっとニュアンス違うか。。。
でもそれに気付くには、やはりたまにはゆっくり腰を下ろすのが必要なんですね。
 
あくせく動いて地球の温度を上げるよりは、生き物として動かざる事が大切な時もあるということを、1匹の謎の虫から学んだ1日でした。