あいつ

その昔、僕が大学生の頃、中野武蔵野ホールという映画館で、ドリフターズの映画を一挙に公開するという伝説の映画祭があった。
今でこそそれらの作品は全部レンタルビデオで借りれるようになったけど、当時はまだビデオ化されてなく、CSTVでの放送とかもほとんどなかったから、ドリフの映画を観れるというのはそれだけで充分貴重な事だったのだ。
そんな訳で、映画祭は満員大盛況で、その期間中は連日上映時間の数時間前に行って整理券をもらっては、近くに食事に行って時間を潰し、上映時間に映画館に戻ってくるという生活を送っていた。
僕が高木ブーさんと知り合うきっかけになったのも、その映画祭で、アンケートに『ドリフ研究会会長』と書いて出していたら、その名前が映画館の関係者の目に止まり、「こいつはかなりドリフ好きそうだ」ということで、なんとブーさんと飲みに行くという会に誘ってもらえたのだ!!
 
さて、そのドリフ映画祭に、僕が友人達(つまりドリフ研究会員)と通ってた時、常に客席の1列目に陣取っている、実に薄気味悪いおっさんがいた。いかにも映画オタクと言ってしまうと、映画オタク全員が薄気味悪いということになってしまうので、そうは言わないが、とにかくオタクを絵に書いたようなおっさんが毎回僕らの前、客席1列目にいたのです。
背が低くずんぐりむっくりしたいわゆる『チビデブ』体型で、髪はボサボサで無精髭、髭の周りには必ずなにかの食べ残しが付いてて、何が入ってるかよく分らない紙袋を持ち歩いている。
僕らは毎回のように「あいつ、又来てるよ!」なんて、気のきいたあだ名すら付ける事なく「あいつ」と呼んでいた。
「あいつ」の習性は、映画を観てる最中に必ず中盤辺りでそれまでしてたコンタクトレンズを目から取り出して、1回舐めてまた目に入れる。
一切 隣の客に気を使ったりしないから、席からはみ出た体や足が当ってくることもままあるし、持参した食べ物(たいていケンタッキー)をむしゃぶり食うから隣までその食べカスが飛び散る、上映中に寝てしまったりしたらかなり大変で、そのボサボサの頭が見事な角度で隣の客の肩までもたれかかってくるから、隣に座った人はたまったもんじゃない。
僕らはなんとか彼の隣に座らないように(あるいはなんとか彼が隣に座ってこないように)日々苦労しながら座席取りをしていた。
 
そんな「あいつ」ともドリフ映画祭が終ってしまえば、当然会う機会もなくなったのだが、ある日高田馬場で偶然にも「あいつ」が道の向こうから歩いてくるのを見かけた!
僕はすぐさま友達に電話して「あいつだよ!あいつが高田馬場にいるよ!」と話した。それ以来僕らの中で「あいつ」の住まいは高田馬場ということになってたが、思えば「あいつ」が高田馬場で歩いて来た方角には名画座があったから、その日はそこで映画を観た後だったのかもしれない。
それ以降「あいつ」は僕らの前から姿を消した。もちろん向こうも好きで僕らの前に現れてた訳じゃないだろうが、とにかく僕らにとってちょっとした脅威であったことは確かだ。
 
そんな「あいつ」とその後まさかの対面を果たすのは、僕がミュージシャンになってそれなりの活動を経た後。最後に「あいつ」と高田馬場で遭遇してから10年は経ってからだった。
僕が映画『地獄甲士園』のエンディングテーマを担当し、映画の開演前に山口監督とトークショーをした時だった。MCの人に呼ばれて、満員の観客の前に出て行き、ステ?ジ中央の席に座った時、まさに目の前1列目中央、10年前と全く変わらない風貌・全く変わらない位置に「あいつ」が居たのだ!
はたして「あいつ」は僕の事を「あの時の、、、」と気付いているのかどうか分らない。そもそも自分が他人から「あいつ」なんて呼ばれて警戒されてたという事すら気付いてないかもしれない。なのでこれは対面というより、正確には僕が一方的にまた「あいつ」と遭遇したという呼び方の方が正しいかもしれない。
その後僕が山口監督とトークをしつつチラチラと「あいつ」の方を見てみると、僕のギャグで微妙に笑ったりしている。
「あいつ」が俺のギャグで笑ってる!!
何か、ここで積年の恨みが晴れたかのような(まあ、元々お互い何の恨みもないんだけど)、なにか不思議な感覚に見舞われた。それと同時に「これを機に、またあいつは俺の生活に入り込んでくるんじゃないか??」という妙な不安も生まれて来た。
これで「あいつ」が終るはずはない!必ずまた俺の前に姿を現すはずだ!
何の理由もないのに、妙に確信に満ちた思いがあった。
 
しかし、「あいつ」はなかなか僕の前に姿を現さなかった。
あのトークショーでの10年ぶりの遭遇以来、1年以上が経つというのに、「あいつ」は僕の前に姿を見せなかった。それが逆に不思議でしょうがなかった。
俺は嫌われたのか??
いやいや、そんな事を気にしてる場合じゃない、嫌われたなら嫌われたで願ったり叶ったりだ。これでやっと「あいつ」から解放されるなら、それに超した事はない。
 
そう思ってた矢先、先日『怨呪 THE JUON』の試写会に行った時だった。僕は招待状に書かれてた時間通りにバカ正直に会場に入ってしまったもんだから、30分近く会場内で時間が出来てしまった。
しょうがなく、廊下にあるシートに座って本を読んでいた。会場内には呪怨の恐ろしいサントラが大音量でかかってる。いつどこから霊が現れてもおかしくないような、試写会の演出としては極めて効果的なものだった。
その時、明らかに配給会社の演出とは違う本気の殺気を感じた!
「あいつが来る!」
 
ここまではっきり空気で何かを感じたのは僕自身始めてだった、もちろん「あいつ」を見た訳でも、「あいつ」の臭いがした訳でも、「あいつ」の声が聞こえた訳でもない(というかそもそも「あいつ」の声を一度も聞いた事がない)。
完璧に空気で感じたのだ、「あいつが来る。。」
その次の瞬間、僕がうつむき加減で読んでた本の先を一人の男の足が横切った。その男は僕の隣に座った。そして明らかに落ち着かない様子でケンタッキーの袋をガサガサと開けて、バーガーを取り出した。そして妙にそのバーガーをしげしげと見つめて、また袋の中をガサガサと何か探し(ソースでも探してるのか??)、これ以上のものが何も無いとやっとあきらめたらしく、そのバーガーにむしゃぶりついた。
僕はそーっと顔を上げ、可能な限りゆっくり首を回して、バーガーにむしゃぶりつく男の横顔を確認した。
 
「あいつだ!!」
 
『呪怨』の試写会、オドロオドロしい音の中、廊下のシートのまさに僕の隣、ケンタッキー持参。
完璧なタイミング・完璧な演出で「あいつ」はまた僕の前に現れた!!
 
俺はこの瞬間本気で殺されるかと思った。1年前の遭遇とは訳が違う、今回はステージと客席という隔たりすらない、まさに真横に「あいつ」が、しかもケンタッキーを持参で来てるのだ!
どう考えたって「あいつ」の方が有利な状況、もし俺が唯一出来る対抗策といったら、デジカメでなんとか「あいつ」の横顔を撮ることだろうけど、そのデジカメも座席に置いて来てしまっている。
いや、待てよ!「あいつ」は俺がデジカメの入ったかばんを座席に置いてきてることすら確認した上で、今ここに来てるのかもしれない。そうだ!「あいつ」はそこまで分かった上で、あえて廊下にいる俺の横にケンタッキーを持参してやってきたのだ!!
大好物のケンタッキーを、10年前と全く同じ食べ方で周りに散らしながら食べる「あいつ」と、それをただ横目で見てるしかない俺。どう考えたって「あいつ」の方が100対0の割り合いで有利な状況。
 
まさか!!そう考えると、1年前のトークショーで俺を見て笑ってたのも、俺のジョークに笑ってた訳でもなんでもなく、あの状況、つまりステージ上にいる俺が携帯で友達に「あいつがいるんだよ!」と電話することも、「あいつ」の顔を撮影することも、それ以前に「あいつ」がいることを顔に出して驚く事すらできない状況を笑っていたのかもしれない!
「あいつ」が目の前にいるのにも関わらず、仕事のトークを続けなくてはいけない俺を見て「どうだ、悔しいだろ!せっかく俺が目の前にいるっていうのに、お前は何も出来ないんだぜ!」と笑っていたんだ。絶対にそうだ!
 
目の前にいる犯人を捕まえる事のできない捜査官を笑う、凶悪犯の笑いだったんだ。「どうだ、お前は目の前に散々追いかけてた俺がいるっていうのに、捕まえる事ができないんだろ!」そういう蔑(さげすみ)の笑いだったんだ。
 
完敗だ。。。明らかに「あいつ」の勝ちである。
 
上映終了後、「あいつ」の姿は映画館には全く見当たらなくなっていた。もちろん上映中に「あいつ」から俺への接触・会話なども全くなかった。そもそもそんな事をする必要もなかったのだろう、「あいつ」は指一本触れずして俺を見事に打ち負かしたのだから。
映画館を出る時、俺は心の中で「次は絶対に負けないぞ!!」と誓ったのだった。「あいつ」と俺との戦いはどうやらこれからもかなり長いものになりそうだ。
 
2004年11月 小宮山雄飛