ピラミッド建設

最近ね、なんかゲーセンのコインゲームけっこうやるんですよ。ホント今さらこの年令でやることでもないと思うんだけどね、たまに暇つぶしとして行っちゃうんだよね。今まで全く興味なかったんだけどね、なぜかこの歳で突如ハマり始めた。
 
あれさあ、マジで無意味じゃん。換金出来る訳じゃないしね、なんか商品もらえる訳でもないし。でもなんかそこのワビサビ感というのにね、妙にひかれてついつい行ってしまったりするんですよ。お酒とか飲みながらね、友達とダラダラとやってしまうのだね。気がついたら店内には『蛍の光』とか流れててね、「あれ?俺こんなとこで何してたんだ!!家でやることいっぱいあったのに!!」ってな事がたまにありますね、トホホホ。
 
そして先日も懲りなく夕食の帰りにゲーセンに寄ってしまい、100枚コインを購入してやってたんですよ、なんか上からコインを落としてピラミッドを完成させるゲームみたいの(やった事ない人にはどんなゲームか全く見当もつかないと思うが、そんなんがあるんですよ)。そしたらね、なんかツキまくっちゃってね、ピラミッド完成=200枚なんだけど、何度もピラミッド作っちゃいましてね、この時代に東京で・・・。あれよあれよという間に600枚になっちゃってさあ、ちょうどその頃耳馴れた『蛍の光』が店内に流れ出しまして、いやー、これだけはこの歳でやりたくなかったっていうゲーセンでの『貯金』をしてしまいましてね。あれはやっぱちょっと恥ずかしいね、名前とか書くの。パチンコの換金とかはさあ、なんか「今日勝ちました!!」っていうかっこ良さがあるじゃない。でもゲーセンでコイン残して行くのってどうにも情けないんだよね、別になんも誇らしくないという。まあ友達の名前書いてごまかしといたんですけどね。
 
で、後日またそのゲーセンに行きまして、その貯金を降ろしてまたやった訳ですよ、ピラミッドゲームを。そしたらね、もう開始早々ピラミッド建ちまくっちゃってね、そのたんびにコインが200枚ガガガッーーー!!て出てきてね、しまいには機械の中のコイン全部取っちゃって、係の人がコイン補給してんのよ。これも恥ずかしかった。でね、もうピラミッド建て飽きてね、エジプト人でもあるまいし。という事でゲームを変えて競馬ゲームに移ったんですよ。もうその時点でコインがバリバリ1000枚超えてるんでね、持つのも重いのね。だから競馬の賭け方も半端なくてさあ、コイン10枚ずつとかをガンガン賭けてたのね。そしたらまたツイてる時はとことんツイてるもんでね、オッズ40倍のとこに12枚賭けてたのが当たっちゃってね、突然また480枚も出て来ちゃったんですよ。あまりに枚数が多いんでそこでまた機械がストップしちゃってね、また係の人呼んで開けてもらったりしてね、また恥ずかしい訳ですよ・・・
 
でまあ、競馬ゲームも制覇したって事で、さらに他のゲームに移ろうしたんだけど、なんかあんま面白いゲームがなかったんですよ。でまあ無理矢理コイン落としゲームとかやるんだけど、なんかイマイチ盛り上がらない上にそもそもコインがあり過ぎるから当たっても全然ありがたみがないっつーか、もうなんか意味なく消費してるんだけなんですよ、コインを。いつの間にかね、コインが増える事ではなく、コインを減らす事に楽しみを覚えてるんですよ。
 
でね、そん時思いましたね「あ、人生ってこんな事かな・・・」ってね。すごい着地点ですけどね、この歳になってゲーセンのコインゲームでそんな事思うって。でもね、マジで思った。実社会に例えるならばコインはまあお金ですよね、でゲーセン自体を人生としましょうよ。
 
最初はお金増やしたくてガンガンやるのね、ゲーム自体も面白いし。そしたらどんどん出世してお金も入るようになった。ホント嬉しいですよ最初の内は、ピラミッド建って200枚とか出てきてね。実際の生活にしてもね、そういう事ってみんな最初はすごく嬉しかったと思うよ。でも裕福になりすぎると急に面白くなくなるっつーか、逆にもう無意味に消費する方に向かうんだよね。これは実生活においてお金という事だけではなくね、色々な経験や評価についても同じだよね。
 
しかもこのコインはゲーセンから持ち出す事出来ないでしょ、結局意味ないんですよそこでいくら稼いだって。そこも人生と同じでね、確かに最初は色々買い物したり食事したりして楽しくていいかもしんないけどね、お金使う事だって限られて来るでしょ、それによく言う事だけどあの世までは金は持って行けないってね。まさにゲーセンの中でしか使えないのと同じなんですよ、お金もね人生っていう枠内でしか使えない。
 
なんかそういうのをすごくゲーセンで感じてしまって、ちょっと寂しくなりましたね。「今このゲーセンで、すでにつまらないと感じている俺がいるっていう事は、人生ってものも結局そういう事なんじゃないか?」って。キャパシティーこそ違えど、結局人生も最初のうちは楽しいけど、ある時点でその無意味さに気付いてしまうと、いきなり面白くなくなってしまうんじゃないかって。
 
なんかそういうのすごく恐いんですよ。別にね例えば全然売れないミュージシャンだとしてもね、まだそこに「いつか売れてやる!!」とかって希望があればね、楽しいと思うんですよ、どんなに辛くてもね。でも、人生そのものの無意味さや矛盾に何かのタイミングで気付いてしまったら、おそらく本気で虚無感ってものが訪れてしまうのではないかと、まあ僕の歌詞にもありますけどね「もし全ての疑問が今すぐ解けたなら、僕はもうこんな世界に寂しくて、いられないだろう・・・」(小宮山雄飛名曲シリーズ『昼・夜』より)っつーの?
 
なんという大変な事にゲーセンなんかで気付いてしまったのか、俺は!!とね、ゲームしながらちょっと寂しくなったんですよ。
 
しかしね、ここでちょっと『孤独』って事も考えたんですよ。もしこのゲーセンにいるのが僕一人だとしたら、おそらく2時間もしたら本気で虚無感にかられると思うんですよ、もうきっと終わりだと思う。コインが貯まったとしてもね、で何??って事でしょ。しかしね、ここに友達と来たり、デートで来たりって考えたらね、全然いいんですよ。ゲームの種類とかね、そこから得たコインとかね、そんなんは全く重要じゃなくてね。そこで誰かと何かをやって時間を過ごしてるっていうのが重要なんだなと。まあすごいまとめ方をすればね『今』が大事なんだなと。コイン=財産や収入もね、ゲーム=娯楽・快楽もね、それはあくまでこの『今』をキミと過ごすのを盛り上げてくれる要素でしかなくて、全然重要じゃないんだって。
 
もちろんピラミッド建って200枚コインが出てきたらね、そりゃー素直に喜びますよ、キミと一緒に。本業の音楽だってミリオンヒットが出たらね、それは嬉しいですよ、純粋に。でもそれはあくまでキミといかに『今』を楽しむかの材料に過ぎないんだなって、そんな良い事を考えさせられましたよ、ゲーセンで。
 
だから逆にね、開き直ってピラミッド建てまくろうよ!!万馬券当てまくろうよ!!大ヒットいんじゃない!!億万長者最高じゃん!!と。せっかくの『今』を楽しむためなんだからデッカイ花火を上げようぜ!!って、そうも思えましたよ。でもあくまでそれはキミと『今』を楽しむための要素であってね、ゲーセンに意味なくコインを貯金するためじゃないんだなって思いましたよ。逆に言えばね、コイン5枚しか持ってなくたってキミと楽しいデートができればそれでいいしね。だから、そう考えたら僕はミュージシャンとして「売れる」事にも「売れない」事にも同じ心構えを持てるなって。人生に対してもね、一般的な見方で言う「成功する」事にも「成功しない」事にも同じ満足感を得られるんじゃないかと。それに気付いた僕が建てるピラミッドは今までのピラミッドとは根本的に違う建物だと思うんだよね。そんな事を思い、聞き慣れた『蛍の光』を背中にゲーセンをあとにしたのでした。虚しい・・・