タイの夜を駆け抜けろ

タイのプーケットでスクーターを借りて一人であっちこっちのビーチや街を巡った。プーケットは繁華街や中心地以外はほとんど信号もなく、セミオートのスクーターは飛ばしようによっては100Km近くまでスピードが出る。ヘルメットは本当はしなくてはいけないらしいけど95%の人はしていないし、警察とすれ違ってもまずノーヘルで捕まる事はない。そんな訳で僕もノーヘルでしかも暑いから上半身裸というかなり身体をさらけ出した格好で80Kmくらいのスピードで飛ばしていた。

道の途中を観光用とはいえ突然象が横切ったりするのは実に別世界的で新鮮だった。タイ全般にそうなのかもしれないけど、いわゆる都市を離れると本当に今だに全く未開の地で、洋服こそ着ているけどかなり原始的な生活を送っている人達も多い。森の中に明らかに自分で建てたと思われる小屋があって、窓も扉も無いような小屋でもちろん水道なんかも通ってないだろうけど、そういう所で暮している人達が沢山居る。そういう小屋や海岸沿いをスクーターでプラプラ走り回っていた。

僕はその土地の感覚を掴むのには自分で移動するというのがすごく大事だと思っていて、イタリアでもスクーターを借りて街中を走ってみたし、アメリカではさすがにスクーターでは移動出来ない(というかスクーター自体あんま無い)がレンタカーをして自分でいわゆる観光地以外の場所も通ってみるようにしている。東京でもそうなんだけど、特にスクーターとか自転車とかの交通手段っていうのは本当に街と一体感があって、ありきたりの言い方だけど風を肌で感じる事ですごくその街との距離を近く感じる。

まあ移動手段というのはその街その街に適切な物があって、N.Yならやっぱり地下鉄に乗らないと見えてこない物も多いし、同じアメリカでもL.Aだったらやっぱり車・出来ればオープンカーで走ると本当のL.Aの街というのが見えてくると思う。それはただの移動手段というより空気感だったり気候だったり、周りの会話だったりラジオから流れてくる音楽だったり、とにかくそういうのを含めた上で街を感じるためのその土地その土地に合った交通手段というのは必ずしも早いものが良いという訳ではないんだろうと思うのだね。

そんな訳で話をプーケットに戻すとまあそのスクーター移動というのが実に気持ちよくて、灼熱の太陽の下で海岸沿いや森の中を駆け抜けるというのは本当にそれ自体がアトラクションというくらい気持ちいいものでした。そしてそうやって行き着いたビーチでのんびり寝て、ビーチ沿いのオープンカフェ、、、、なんていう呼び名はもちろん実際は無くまあ屋台に毛が生えたようなバーで食事をしてまたちょっと休んだらスクーターで移動する。一人でそんな日々を過ごしたのがプーケットでした。

とはいえ知らない土地をスクーターしかもノーヘルで飛ばすというのはやはり実際はすごく危険な訳で、それなりの覚悟というのも必要な訳だけど、僕はなぜかプーケット最後の夜、無性に走りたい衝動にかられてしまい、全く何の目的もなく夜のプーケットの街道を一人でスクーターで突っ走りました。

一体なんで僕がそういう衝動にかられたかは僕自身分からなかったんだけど、とにかく夜の街道をひたすら走りました。知らない街をノーヘルのスクーターでしかも夜中に、場所によっては街灯もほとんど無い所をスピードを出して走るというのは、冷静に考えないまでも相当危ない行為で、もし事故でもしたらそれこそ僕自身の体の問題もさることながら多くの関係者等にもすごく迷惑がかかる事だというのはもちろんちょっと考えれば分かっていたんだけど、そんなリスクを全て背負いながらもなぜか僕は本当に闇雲にスピードを上げて走りました。

今思えば何かのストレスがあったのかもしれないし(もちろん実際そんなのはいつでもある)、あるいはタイの何かが僕を誘っていたのかもしれない(別にかっこいい表現をするつもりもなくて、本当に何かに呼ばれるかの様に僕はひたすら何処かへ走り続けてました)。前に北野たけしさんがスクーターで事故った時に「もしかするとあれは自殺だったのかもしれない」と後に語っていたけど、僕も事故らなかったからいいものの、その言葉にはすごくよくわかる所があった。もちろん僕に自殺願望は無いし、自殺こそ最も愚かな行為だと思っている人間なのだが、なぜかあの時は本当にとにかく危険をかえりみずに突っ走っていた、しかも全く何の目的も無く、どこへ行くという訳でもなく、とにかくプーケットの夜中の道路をひたすら突っ走っていた。冷静に考えればそのリスクの大きさに気付くはずなんだけど(もちろんたけしさんのリスクと僕のリスクでは全然違うだろうけど)、とにかく何かに誘われるように走りたくなり、また走る事によってもっとその先へ行きたくなった。途中我に帰って引き返したからよかったけど、あのままもし本当にどこまでも走っていたらどうなっていただろうかと思う。

なんとも不思議な夜だったけど、次の日思い出して僕はそんな事をした自分にちょっと安心した。なぜならもちろん人として常に冷静な判断が出来るっていう事はすごく大切だけど、時に僕らのような職業の人間はそれ以上に単に「やりたいからやる!!」っていうのもすごく重要で、例えそれが夜中にスクーターで飛ばすという全く無意味な行為だったにしろ、自分の中にまだちゃんと、そういう損得や後先を考えない衝動性みたいのがあるんだという事に安心したのだ。

タイの夜は僕をどこか遠くへ連れて行こうとしていたけれど、その先はどこなのか。突っ走るスクーターの上でその先がちょっと見えた気がした。