TALK SHOW by Yuhi Komiyama

HAPPY

人にハッピーを与えるというのが、僕のライフワークなのではないかと、真剣に考えているのです。
ハッピーとは一体なんなのか?

ハッピーとはニュースなんじゃないかとも思うのです。

例えばホフディラン復活というニュース
これで果たしてどんだけの人がハッピーになってくれたかは分かりませんが、少なからずこのニュースでハッピーになった人がちょっとでもいてくれたら、それで充分目的達成だと思うんですね。

つまり、実際に復活したホフディランの曲がどうとか、ライブがどうとか、そういうこと以前に「ホフディランが復活した」というニュースで世の中をハッピーにできたら、それは素晴らしいと思うんですよ。

それは、ファンだからということではありません。

全然ホフディランのファンでもなんでもない、ホフが復活しようが何しようがCDだって買う気もないおっさんがいるでしょ。
例えばそういう人が「ホフディラン復活」というニュースを聞いて、「へえ、いい加減なやつらでもやりゃーまだできんだな、そんならいっちょ、俺も復活しちゃおうかな!」などと、まあ意味不明ではありますがちょっとしたハッピーになってくれたら、それで意味があると思うんですね。

例えば<こむぞう>を聞いた人がハッピーになってくれたら、それはそれで嬉しいし、<こむぞう>を聞いてない人でも「小宮山雄飛がポッドキャストってのをやってて、盛り上がってるらしいぜ!」ってことを聞いて、なんか分からないけど「俺もなんかやろうかな」って盛り上がってくれたら、それでいいと思うんですよ。

昔、クラスで友達が髪型変えたりすると、全然関係ないけど盛り上がったりしたじゃないですか。
あるいは誰かと誰かが付き合ってるとか、誰かが先生に反抗したらしい、とかね。

そういうニュースでみんなが盛り上がったでしょ。
そういうことできればいいなって思うんですね。

例えばレコーディング中に、いきなり俺が坊主になってスタジオ来たら、そうとう盛り上がると思うんですよ、それが似合ってるとか、それによってなんか得したとか、そういうの全然関係なく「雄飛、とつぜん坊主になってきたよ」というニュースだけでスタジオが盛り上がる。
そうやって人をハッピーにするニュースを提供すること、それが僕のライフワークだと思う訳。

まあ、単に話題を振りまけば良いということではないと思うけど、みんながハッピーになるためのニュースを作り続けるというのは、一つすごく重要なことなんだろうと思うのです。

日本人がオリンピックで金メダル!とか
エベレスト登頂成功!とかさ

そういうのってほんとニュース以外の何ものでもないでしょ。
べつに実際はどうでもいい訳じゃん、僕らの生活にとって、遠くの山に誰が登ろうとね。
でも、そういうことで、他人をちょっとハッピーにできることがある。

そういうことを日々やっていけたらと思ってる今日この頃な訳です。

<2014年のあとがき>
文中に出てきた「ホフディラン復活」というのが、そのニュース自体むしろ懐かしく感じますが、ほんとにそのニュースで少しでもハッピーになってくれた人たちがいたら嬉しいですね。
この文章から数年後にワタナベイビーが「幸せのニュース」という曲を書きましたが、もちろんこの文章をワタナベイビーは読んでないので、思えば同じようなことをお互い書いてたんだなと。今読み返してちょっと驚きました。
これからも遠くのどこかで誰かがハッピーになるようなことを、ニュースとして提供できたらと思ってます。