ワタナベイビー

ホフディラン待望のニューアルバム『Island CD』のリリースを記念して、ワタナベイビーと小宮山雄飛のソロインタビューを敢行。
前作からアルバムに至るまでの道のり、それぞれの楽曲が生まれた日々の思い、ホフディラン&相方への愛と欲望をたっぷり語り尽くす!

ホフディランの結成当初は恋愛期みたいだった

今年デビュー26周年を迎えたホフディランですが、もともとは一回限りのユニットだったんですよね。

そうですね。そもそも僕はホフディランをやるまでバンドというものをやったことがなくて。もちろんビートルズが大好きだったから、バンドを組むことに憧れてはいたんだけど、ポールやジョージと出会えなくて(笑)。ひとりで作詞作曲をして、多重録音のテープを作るだけの人間だったんです。そのテープを大学で売っていたら、いろんな人を通じて最終的にTOKYO No.1.SOUL SETの川辺(ヒロシ)くんの手に渡って。僕らがバンドだと思い込んで、勝手にライブにブッキングされて、もうチラシも刷られてるからって、その日のライブをこなすために人を集めて即席バンドを組んだ。その中に知り合いの親戚だったユウヒがいたんです。

それが、まだホフディランになる前の伝説のクアトロライブですね。

人生初ライブが満員で入場制限のかかったクアトロで(笑)、本当はそれで終わるはずだったんだけど、今度はテレビで生演奏をしてくれって話が来ちゃって。せっかくだし、テレビ出演を経験してみよう!となって、さらにスリッツ(下北沢にあった伝説的クラブ)でライブをやらない?って声を掛けてもらってライブをやるようになって…。最初の頃は、映像作家のタケイグッドマンとか、イラストレーターのシャシャミンとか、かせきさいだぁとか、結構すごいメンツがコーラスでいて、ユウヒはバックでコードを支える、年齢的にもまだ大学を出るか出ないかの下っ端だったの(笑)。でも、新曲を作ろうとなった時に、音楽的なことを相談できる人間がユウヒしかいなくて、必然的にこの曲どうだろう?って彼の家に相談に行くようになった。で、そのうちユウヒが曲を作ってみたんだけどって持ってきて、それを一緒に仕上げたあたりから、後のホフディランに繋がる関係性ができた感じですね。

甘酸っぱいですね…。

早く曲を作って、ユウヒくんに聞かせよう!みたいな。あの時期は、なんか恋愛期みたいな感じでしたね。ユウヒが聞いたら、なんていうかわかんないけど(笑)。

見た目も音楽性も、対照的な二人がそれぞれ曲を作って歌う、というのがホフディランの魅力だと思うんですが。

それは僕の策略です(笑)。最初は僕の曲をやるバンドだったので、その形で続けることもできたんだけど、ずっとやっていくためには僕みたいな声だとハナから拒否する人もいるかもしれない。だから、自分とは真逆のユウヒみたいなヤツがもうひとつの武器になってくれたら、いろんなことが二倍になる!と。理想は練馬の住宅街から世界に飛び出した身長が同じぐらいの四人組だったんですけど、なぜか180cmオーバーの成城ボーイと組むことになった(笑)。

偶然とはいえ、ユウヒさんがベイビーさんにとってのポールなりジョージなりになり得たのは、やっぱり自分にはないものを感じたから?

最初の頃は僕が育てたようなところもあったんですよ(笑)。でも、当時ユウヒはレコード会社がこれこれはこういうもんだって言ってくることに対して、なんでですか? そんなの必要あるんですか?って、普通に疑問を言えてて。それは僕にはないところだったし、5歳下のアイツがいかりや長介になってくれたら、自分も長生きできるんじゃないかと思ったんです。だから、ある時期に僕が年長者だから敬語を使うとか、上に見るとかしちゃうとこの先辛いから、それは禁止にしようって二人で薄い取り決めをした。もし僕がいかりや長介になってたら、今こういうふうにホフディランを楽しめてなかったと思うし、そもそもなくなってたかもしれない。

最近はかなりユウヒに任せちゃってる

そこから二人でホフディランとして、活動休止を挟みながらも26年続いてきたんだから、すごいですよね。

まだまだですけど、活動休止以降は、昔よりはまともになって帰ってきたかな。昔は僕、本当に何もできない人間だったんですよ。チューニングもできないし、ギターの弦も張れない。ただ曲を作って、歌うことだけに特化して生きてきちゃった人間だったんで。活動休止は甘えていたホフディラン初期のリハビリみたいな感じで、ツアーをしている団体に飛び込んで、日本中を回っていたんですけど、とにかく毎日ライブをやるから健康でなきゃいけない。そういう当たり前のことを学ぶ日々でしたね。期間的には2年だったけど、体感的には10年ぐらいの武者修行でした。

このまま自然消滅するのではという危機感はありませんでした?

こんなすぐ終わるバンドじゃない。5、6年やそこらで崩壊する家庭じゃない、と思っていたので。まあ、活動休止ライブもやったし、自分が少しでもちゃんとなって帰ってくれば大丈夫、という感覚はありました。誰かとユニットを結成しても、自分はホフディランの人間なんだって思いは常にあったし、やっぱり命を賭けてできるバンドって、生涯ひとつだけだと思うんですよね。どんなすごいスターと組んで、それがうまくいったとしても、これまでもこれからも命懸けでやったバンドは、僕の中ではホフディランしかないんです。

人生の半分に値する歳月をホフディランとして過ごす中で、二人の関係性とか役割分担に変化はありましたか?

ユウヒは人生半分、僕も来年で人生半分ホフディランだから、いろいろ変わってきますよね。それはいい意味で。最近では曲のアレンジなんかは、かなりユウヒに任せちゃってます。この曲はこのアルバムには入れない方がいい…みたいなのも僕はないんだけど、ユウヒが全体のバランスを考えて決めてるし。時代的なこととかも僕はわからないので、ユウヒに任せてます(笑)。

『Island CD』というタイトルについては、二人で?

それもユウヒが決めて、『Washington,C.D.』と掛かっててゴロもいいし、いいんじゃないって。僕自身はCDにもレコードにも特には思い入れはなくて、むしろカセットテープ派なんですけど、ホフディランの主戦場はCDだったし、配信音源も買ったことはないしね。クレジットカードがないから(笑)。思えば前作の時も、これがCDとかアルバムという形は最後かもしれない、きっとそうだと言いながら作ったんですけど、今回いろんなめぐりあわせでまた作ることができたので、また二、三年後には作ってるんじゃないかと思ってます。ホフディランは、そういう幸運が舞い込むタチなんですよね。

interview by Keiko Iguchi