深夜特急

深夜特急 つまりは26歳で旅立つ僕らの葛藤
僕が半年間も海外を放浪していたもんだから、インタビューなんかで度々「やっぱり『深夜特急』みたいな感じですかね?」なんて聞かれる事があるのですが、僕は恥ずかしながらというか、実際はというか、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだ事はなかったんだよね、ギャフン!!
沢木耕太郎の『深夜特急』といえば、若き旅人=バックパッカーにとってはバイブルみたいな本だけど、まあせっかくだからという事で、帰国してから今さらのように本をあまり読まない僕が重い腰を上げて『深夜特急』を読み始めたんですよ。
そしたら実に面白い事に、沢木さんのこの壮大な旅行への旅立ちの年令というのが僕が旅へ行ったのと全く同じ26歳なんだよ!!
しかも御丁寧な事に、巻末にあとがき的なものとして付いていた『出発の年齢』という対談で、沢木さん本人が『二十六歳適齢期説』っつーのをかかげて、旅立つ年齢は26歳が一番!!と書いているではないですか。
なんかね、旅における不思議なつながりを沢木さんに対して感じましたな。しかも、どうやら沢木さんが26歳で旅立った年ってのは僕が生まれた翌年なんですよ。僕が生まれた翌年に沢木さんは26歳で世界へ旅立ち、その26年後に同じように僕は旅立っているというね。ちょっと美しくね??話の流れとして。
なもんでね、ちょっと考えましたよ僕なりに旅立ちの年齢について。
まあ沢木さんが旅立った70年代というのと、現在の2000年代(すごいね、もうマジで21世紀だ!)っていのは全然時代が違うんでね、必ずしも26歳が本当に適齢期なのかというのは分からないけどね。だって今はTVの企画でヒッチハイクで大陸横断とかねそんなの全然やってる時代でしょ、そりゃー70年代とは訳が違うわな。
でもですね、沢木さんも書いておったのですが、そういう時代性とは別に人間的な知識だとか経験だとかってのでやっぱり26歳位が旅立つには「早すぎず遅すぎず」で良いんじゃないかってね。
なぜかって言うとね、若くして海外へ留学とかするのも、逆に30歳過ぎてある程度落ち着いてから海外で生活するのも、なんかそこに良くも悪くも『必然性』を感じるんですよね。旅立つべくして旅立ったと言う感じ。
それが26〜27歳だとね、なんかすでに出来上がっている自分という人間と、新しい自分を発見したいと模索する自分っていうのが、ちょうどこう入り交じってて、その不安定な自分というのが旅する事で本当にどこにも属してない旅人と化す気がしたんだよね。
音楽に例えるならウィーザーやベンフォールズのファーストの感じ??
『泣き虫ロック』ですよ、つまり。泣けるメロディーとラウドなギターの組み合わせ、あるいは情けない歌詞とロックなビートの融合とでも言いましょうか。駄目な僕と、でも先へ進もうとする自分の葛藤。それが26歳という年齢なんじゃないかね。
小さい頃から海外に住んだりしててバイリンガルな訳でもなく、年老いて余裕が出来て海外旅行をしてるのでもなく、なんかこう知らない世界へ旅立つ事で今までの自分を見つめ直しつつ新しい可能性を自分の中に見つけようとする、そういう曖昧な年齢の旅なんですよ、26の旅っていうのは。
友達には僕よりずっと若い年齢で旅立ったやつもかなりいるし、逆にこれから30歳40歳を過ぎて拠点を海外へ移すというやつも出てくるでしょう。でもそのどちらでもない26歳での旅立ちというものに、沢木さんの文章を読んでなんか自分なりの必然性を感じてしまったのだね。ん?そうなると結局26歳の旅にもそれなりの『必然性』があるって事になんのか?・・・必然性が無いという必然性??まあそれはそれと言う事で大目に見て下さい。
この間知り合いのDJが「28歳で突然色んなものが見えてきて、自分にとっていらない物と必要な物がはっきりしてくる」って言ってたけど、なんかそれもすごく分かる気がするね。ちょっとこじつけみたいだけどさあ、26歳で旅立って27歳まで模索して、28歳過ぎると友達にしてもライフスタイルにしても本当に自分に必要な事だけを残すようになるって気がするね。
まあなんだかんだ偉そうな事書いてもね、僕もまだまだ何も分かっちゃいないんですけどね・・・。26歳で半年間旅に出てた時は「きっと今が適齢期なんだな」なんて全く考えてなかったしね、そもそも本当はもっと早く1年位休んで旅に行きたかったしね。だけどなんか今となっては『26歳の旅』ってものにはおそらく他の年齢の旅にはない何か特別な意味合いがある気がするなあ。
まだ26歳になってない人は、ぜひとも26歳でちょっと長めの旅に出てみてはいかかでしょうか?きっとすごく感じる事があるんじゃないかな。