君子危うきに近寄らず

いや、ことわざとか格言とかそういうのってホントよく出来てますよね。最近つくづく思うんですけど、『君子危うきに近寄らず』ってホント当たってるなと、君子はいい事を言ったものだなと。

僕とかね、なるだけ危うきに近寄りたい人間じゃないですか。怪しそうな人のいる方へ、危ない事件が起こりそうな街へ、うさん臭い情報の集まる方に、とにかく危うきへ危うきへと近寄ってたんですよ。

でもね、最近なんかそういう危うきに近付かないのがやっぱり賢い人間の生き方だなって思うんですよね。賢い人達ってそういう危ない所に顔を突っ込んでるように見えても、実際は絶対危うきには近付かないんですよね。

例えば街とかでも、アメリカとかって危ない所がはっきりしてるでしょ、それこそお金持ってる人達は絶対に危ない地区には行かない。そこら辺はっきりしてる。それはべつに差別とかじゃないんですよね、自分の安全をちゃんと考えての行動なんですよね。

車とかでもねお金持ちが高い車買うの、あれってかっこつけとかじゃなくちゃんと安全性とかを考えての事なんですよね、自分の安全は自分で買うっていう。

その点日本って曖昧じゃないですか、よく言えばそんなに危険な地区とかがないとも言えるんだけど、なんか安全に対して逆に曖昧な部分もあると思うんだよね。高い車乗るのも安全性云々とかより結構スタイルでしょ、日本では。いわゆる山の手で飲んだり遊んだりするとかも、安心出来るからってよりは普通にオシャレな行動としてじゃないですか。

僕はどちらかというとそういうオシャレ重視なやり方っていうのは嫌いで、そのアンチテーゼとして、生まれてからずっと渋谷区に住んでるのにも関わらず逆にむしろ怪しい方向へと興味をもって行ったんですね。

でもね、最近やっぱり危うきには近寄らないのが賢い人間だなって思うようになったんですよ。まあ別に土地という意味だけじゃなくね、行動そのものでね。

ちょっと話が代わりますが、親父とかが『行きつけの店』って持ってるじゃないですか、いつもそこに行くっていう店。ああいうのも今まではどちらかというと苦手で、どんどん新しい店、怪しい店を探索したかったんですよ。いくら美味しくて気心がしれてるからって、いつも同じもん食べてもしょうがないだろ!!って。でもね、やっぱり知らない領域・自分のテリトリーじゃない世界に入るのって時として色んな失敗するんですよね。それこそ単純にマズかったって所から始まり、ボッタクリバーみたいのとかね。色んな危険にあう可能性があるでしょ。

でね、最近になって思うのは、親父達が行きつけの安心出来る店に行くのって、それなりに危ない経験・嫌な思いとかをした上で、安心出来る自分の店に行き着いてるのかな?って。そう考えると『行きつけ』の店って、実は『行き着いた』という意味での『行き着け』の店って事なのかな?とかね。

そんな訳でね、僕も最近はなんかあんまり危険を犯さない方向に賢くなってますね。気を許せる友達と、馴染みの街の行きつけの店にしか行かないみたいなね。

そういう事を言うと、なんか落ち着いちゃったって思われるかもしれないですけどね。なんか危うい物や街・人に近付くのってね、実はその危ういサイドの人達に対しても失礼なんじゃないかなと最近思うんですよ。いくらそういう物に興味があるって言っても結局はそこの住人ではない訳ですからね、そんな人間がちょっと興味本位でそういう世界を覗くのって失礼かなって思うようになったんですよ。そしてそのちょっと覗く行為っていうのが時としてすごく危ない事になりかねないなって。小説『ザ・ビーチ』でもそんな事が描かれてましたけどね(ちなみに映画で観るよりは、絶対小説の方をお薦めしますよ)。

君子危うきに近寄らず、これホント合ってるよ!!

ただほとんどの人達ってそういう危うきってものを知らずに、ただオシャレとかかっこいいとかって理由で高級志向だったりするんで、それよりは社会の裏とかに興味を持つってのは大事だと思いますけどね、でもその先では結局危うきに近付かないって結論が一番賢い気がしますね。