天井から受けるもの

日本の自宅に帰って来て、まず最初に感じたのは「あれ、天井低いなあ、、、」という事だった。これはいかにもおかしくて、なぜならいくら数カ月海外に居たからといって僕はもともとこの家で26年間生活してきた訳で、僕のサイズ感覚というのはどちらかといえばやっぱり海外のどの建物よりもこの自宅に基づいているはずなんだよね。でもやっぱりなんか「天井低いなあ、、、」って思ってしまった。そしてそれから数日間はなんとも妙な圧迫感の中で生活していた。なんか常に上から押さえ付けられているような、そういう感じでちょっと苦しかった。

もちろん僕が海外では異常に天井の高い家で生活していた訳ではないし、日本の自宅が異常に天井が低い訳でもない(おそらく日本での平均かそれ以上だと思う)。それなのに僕は妙な圧迫感を感じた。これはもう根本的なサイズ感というか間取りとかの違いなんだろうね、きっと。そこで僕が思ったのは、やっぱこの空間で生活していたらこの空間で生まれるべきものしか生まれてこないだろうなあという事です。ずいぶん前にやはりアメリカの田舎に行った時に広大な大自然を目の当たりにして「ここで生まれて生活してたら、そりゃー日本とは全然違う感覚になるだろうなあ、、、」と思ったのを思い出した。

もちろんどっちが良い悪いという話ではないです。日本でしか産まれえない文化や感情もあるだろうし、アメリカでしか考え付かないあるいは理解できない感覚というのもあります。それはどっちも全然悪くないです。ただこの感覚の違いというのをちゃんと把握出来てないとちょっと勘違いな事になっちゃうだろうなと思いますね。つまり極論を言えば日本の低い天井の下でいかにアメリカ文化を理解しようとしたってそれは絶対無理だし、アメリカの大草原の中に居て日本の微妙なワビサビみたいのを理解するのも無理でしょう。それこそ狭い一人暮らしの部屋をいかにアメリカのおもちゃでいっぱいにしたところで絶対に本当のアメリカなどは分からないのだよね。もちろんじゃーなんの意味もないかっていったらそうでもなくって、日本の狭い部屋にアメリカのおもちゃを並べた場合にしか発生しえない独自の文化(大袈裟だけど)というのがそこには開花しているのだろうね。でもやっぱりそれは本当のアメリカではない。

つまりそういう自分のバックグランドみたいのを正確に把握できてないとちょっと勘違いしちゃうんじゃないかなと思うのですよ。例えばそこらへんをちゃんと理解できてないでただ闇雲にアメリカのバンドのパクりみたいな事をやったり、イギリスのバンドになりきったつもりでいる様なやつは駄目だと思うのですね。僕らが日本で日本人として何かをやる以上、どんなにアメリカの音楽に影響を受けようと、イギリスの文化に興味をひかれようとも、それをちゃんと自分の中あるいは自分の生活の中でちゃんと消化してから独自の物を作り上げないとホントただの物真似になっちゃうと思うんだよね。

まあそれにしても僕が帰国後に自宅で感じた圧迫感というのを実は26年間毎日知らずに受けていたのかと思うと、ホント日本人というのはそういうレベルから既に押さえ付けられて窮屈な思いをしている人種なんだなあって再確認したね。そりゃーアメリカ人とかが日本人に比べて陽気だったりオープンだったりするのも分かるよ、天井の高さの時点で彼らは僕らよりはるかに自由なんだからね。そして日本人が世界的に見てとても忍耐強いというのも納得出来ました。天井の高さ一つ取ってもやっぱりそこで何十年と生活している内にそういう違いは絶対出てくるだろうからね。

そういえば、ローマで滅茶苦茶小さな車に4人で乗らなくちゃいけなくて、しかも僕ともう一人背の高い先輩の二人が滅茶苦茶狭い後部座席に座らなくちゃいけなかった時に僕は初めて閉所恐怖症的な感覚を味わったね、「お願い出して!!息が詰まる!!!」みたいな感じ。やっぱ人間はある程度のスペースがないと精神的にちょっと辛いのだねえ。そう考えると日本の建物ってなんか人間に優しくない気がするね。まあその分おとなしく控えめで忍耐強い日本人というのが生まれるのだろうから、まあ一概に良い悪いは分かりませんが、やっぱもうちょっと上にも横にもスペースがあったほうがいいよね。その方が絶対いい考えとか思い付くと思うんだけどね。でもあれだよ、TVゲームとかさあそういうのの開発とかっていうのはやっぱりそういう狭い環境の方が生まれそうだよね、もう否応無しにゲームの世界に入り込みそうだしね。そういうジャンルで日本がすごく伸びてんのはけっこう天井の低さが関係しているかもね、なんて思いました。