ファンレター

最近はお陰様でファンレターを毎日何通も貰う、内容はというと僕をとにかく褒めちぎっているものから延々と自分の学校生活について語っているものまでまあ色々ある。相棒の渡辺君の方にも毎日沢山のファンレターが送られてくるのだが、僕と渡辺君とではファンレターの性質に明らかな違いがある。それは何かと言うと、渡辺君宛のファンレターには重い内容の手紙やストーカー的な内容の手紙が多いという事だ。一方僕宛のファンレターはまずそういった暗い物や危ない文章はない。

一体なんで同じグループなのにそんなにファンレターの性質が違うのかという理由は明確だと思う。それは僕は雑誌なんかでいつも「メディアは一切信用していない」と言っているしライブのMCなんかでもそういう事をファンに伝えているからだ。メディアというのはなにもテレビや雑誌の事だけを言っているわけじゃない。僕らが出すCDもそうだし手紙そのものがメディアである。つまりある人から発っせられた発言なりメッセージは一端何らかのメディアを通った時点でもうその人のものではなくなってしまうという事だ。極端な事を言うと今皆さんが読んでいるこの文章だって僕(=小宮山雄飛)が書いているなんて保証は全くない訳だ。だから僕は基本的にはメディアと言うものを一切信用していない。実際雑誌なんかでもインタビューで僕が言った発言が渡辺君が言った事になっているなんてミスとかは度々あるし、あからさまな嘘を平気で書いている記事なんてのを何度も見たことがある(ちなみに軽い例を挙げると、学生時代僕の友人がある女性誌で実際のお姉さんの彼氏という設定で一緒に出ていた。<恋人の田中君と愛車の前で?>なんてキャプションで写真が出てて、おいおいお前弟じゃねえかって感じだった、田中じゃねえだろよ!。雑誌っていい加減なものなんだなあと思った)。アルバム『Washington,C.D.』の一曲目に『CompactDisk』なんていう曲を入れたのも「これはあくまで僕らが作ったCDであって僕ら自身ではないんだよ」と提示するのが目的の一つだった。

まあメディアというものについてはまた今度ちゃんと語るとして、とりあえず僕はそういう立場というのをファンに対して明確にしてきた。だからファンに対して良い意味である程度距離を置いてきた、僕の音楽は死ぬほど聴いて欲しいけど僕の出待ちとかする時間があったら恋人とデートするとかあくまで自分の生活を満喫して欲しいという態度をとってきた。だから僕にはいわゆるストーカー的なファンと言うのはそんないないと思う。

一方渡辺君というの全く逆でメディアを信用しているのかどうかは分からないけど少なくとも利用する事はむしろ良しと思っているみたいだ。メディアを使って自分を実際の自分自身以上にアイドルなりロックンローラーなりにする事を積極的に行う人だ。まあそれはそれで個人の考え方なんでどっちが正しいとかいう事ではいので良いのですが、そういう事をするといわゆるストーカー的なファンは絶対的に増えてくる。音楽どうこうとは別に渡辺ワールドに浸って幸せを感じる人達が生まれてくる。だから渡辺君へのファンレターは実に重いらしい、「渡辺さんの曲で生きる勇気が涌きました」なんてのから始まって「なんで『自殺(仮)』なんて曲作ったんだ、お前こそ死ね!」という脅迫もどきな手紙、「貴方を食べてしまいたい」というエロチックな妄想系もあれば「家族が死にました」みたいな本当に重めな相談手紙までとにかくすごいらしいよ。相手をよっぽど身近に感じてないとそんな事書かないよね普通、全然知らない人に対してしかも実際本人が読んでいるか保証もないファンレターにそんな重要な事書いていいのか?と思うけどね、僕は。つまりそれだけ渡辺君のファンはすごく渡辺君を信用しているというか、身近に感じているんだと思う。だから渡辺君の雑誌での発言や歌詞を100%本当だと信じていて、その上渡辺君にも自分の気持ちが絶対通じるって思ってるんだろうねこういう人は(<注>あくまで一部の渡辺ファンについて言っているだけで、もし今この文を読んでいるあなたが渡辺ファンだとしてもあなたを異常だとか言っているんじゃないよ、だから安心してくださいね)。

まあアーチストとかっていうのはもともと夢を売っている様なものでもあるから、ファンに良い夢を見させるという意味では渡辺君的なやり方というのはそれはそれですごく尊敬する。だけど中には悪い意味で現実逃避として渡辺君の音楽なり渡辺君へのファンレターなりを利用している人もいるんじゃないかな。いわゆるストーカーとかってそうじゃない、勝手に妄想の世界に入っていっちゃう。だから渡辺君も気をつけないとそういう奴からいつ「貴方の子供を妊娠しました」なんて手紙が来るか分からないね。まあそこまで行かないにしても、渡辺君がギャグのつもりで言ったセリフとかに対して「あなたあたしの事愛してるってファンレターの返事に書いたじゃない!!」なんてのがいずれ来るかもね。

そんな訳で渡辺君とファンとの手紙での関係というのは、相棒の僕としては最も身近にあるもの凄い面白いノンフィクション小説みたいなもんで、実に楽しみなものなんだよね。渡辺君もまたそういうの嫌いじゃないから、返事出さないファンレターが一杯あるくせに、書くとなったらもらった手紙より長い返事とかを平気で書くし、しかも「いつも君だけのために歌っているのさ」とかそういうの書くらしい(本人談)。これを美談と取るかキャラ入り過ぎと取るかは一人一人の判断に任せるとして、とりあえずそんな異様な関係が築かれているらしい。そんな中でとても困るのがホフディラン二人共にファンレターを出して渡辺君からだけ返事をもらったというファンが、「雄飛さんは冷たいんですね」とか「渡辺さんは優しい人なのに」とかいう手紙を僕に出してくる!。そういう奴は一体どういう神経でそんな手紙を送れるかね、超多忙な毎日を送っている我々に一方的に手紙を出して、片方から返事を貰えただけでも喜ばしいところを「なんでお前はくれないんだ」なんてよくも図々しく手紙出せるよね。僕も出来る限り返事を出すことにはしている、もちろん渡辺君の様に「いつも君だけのために歌っているのさ」なんてのは書かないけど、サインとかして送る様にしているしたぶん返事を書いている枚数だけとったら僕の方が多いかもしれない位だよ。しかし世の中には上の様な手紙を平気で送ってくる奴もいれば、返信用の封筒や切手なんて全く入れずにしかも汚い字で1〜2行なんか書いてあるだけで「P.S返事絶対下さい。」なんて書いてくる奴もいる、一体どういうつもりなんだよ。もちろん良心的なファンの方々も沢山いて「ファンレターの返事も大変でしょうから、これ使ってください」と切手を何枚も同封してきてくれる人など優しいというか常識のある人達はとても嬉しいです。そうなんだよ僕が言いたいのは、僕が芸能人になったから偉そうにするとかファンの方が我々より下だとかそういうことではなく、普通に人間として常識っつーもんがあるだろうよ!ということだよ。個人的に友達というのでもない相手に手紙を出すなら、それなりの書き方とかがあるだろうし、ましてや返事が来ないからって「あんたは冷たい」とか言うか?常識で考えて。常識のあるファンは例えば手紙の最後に「最後まで読んでくれてありがとうございます」とか書いてくるし、まず文頭で自己紹介を書いたりしてくる。その位の常識は欲しいものだよね、こ?ちは全く見ず知らずの人からの手紙なり小包なりを受け取るわけだから。まあ正しいファンレターの書き方講座はその位でよいとして、とにかくそんな常識のないファンも中にはいる訳だから渡辺君もアイドルキャラとか押し通すのも良いが気を付けないといつかすごい事になると思うので心配なのですよ。

僕は『メディアを利用した人はいつかメディアに殺される』と思っているので、ファンレターやTV・雑誌も含めてメディアというものにはあるフィルターをかけて接している。そのフィルターこそが僕がよく言う『POP』である。この『POP』というものについては説明がまた長くなるんでいつか書くとして、とりあえずファンレターに対してもこのフィルターを通してなるたけ返事を書けたら良いなとがんばっている。それが僕に出来る最大にして最高の親切だと思っている、だからいつかもし僕からファンレターの返事がきてそこに「君だけに返事を書いているんだ!、僕は今も君の事を考えているよ!」なんて書いてあったら、「小宮山雄飛もついにメディアに侵されてしまったのか」とがっかりしてくれ。逆に手紙に只ぶっきらぼうにサインだけしてあったりしたら「小宮山雄飛はまだちゃんと頑張っているんだ」と思って欲しい。