モグリ学生

僕は学生時代よく日大芸術学部の授業をいわゆるモグリで受けていた。その授業というのは<メディア論>という講義で、講師は武邑光裕先生という方で日本のデジタルメディア論の第一人者であり僕がとても尊敬している人である。
 
僕はこの講義を丸2年くらい受けただろうか、毎週毎週生徒でもないのに江古田に一人で通っていた。一人で寂しい時は彼女も連れて行ったりしてた、土曜日のデートは江古田で日芸の授業をモグリで受けてその後は図書館で画集とか写真集なんかを見るというコースだった。日芸の図書館はアート系の本が充実していてとても面白かった。今思えば江古田でモグリというデートもシブいデートコースだなあ。
 
まあそんな話はよいとして、僕はこの講義でデジタルとは何か、メディアとは何かという事を色々と学んだ。僕が武邑先生と同じく尊敬する高城剛さんが(ちなみに高城さんも日芸出身で武邑先生の教え子だったらしい)「デジタルは生き方だ」と言っていたけど僕も正にそう思う。
 
それはどういう意味かというと、デジタル化社会っていうのはデジタルによって画像や音のクオリティーが向上するとかテレビ電話で世界中の人と話せるとかそういう物的・技術的な事にデジタルが影響を与える以上に人間の生理・精神的な面にデジタルが及ぼす影響が大きいという事です。
 
簡単な例で言うと、例えば昔は夜の6時7時になるといわゆるお茶の間に家族が集まってみんなでワイワイ食事をしていたわけじゃない、そしてそこで家族の会話が生まれたりしていた訳でしょ。たとえ家族が喧嘩中だったとしても暖かいご飯をゴールデンタイムのテレビを見ながら食べるにはどうしてもその時間にお茶の間に集合しなくちゃいけなかった訳じゃない、だからそこで自然と家族の精神的な結び付きが出来たりしていた。それが今では自分の部屋にテレビがある、夕食時に食べなくてもレンジで温めれば夜中でも熱々のご飯が食べられる、見たい番組はビデオで録画しておけばいつでも見られる、だから6時7時にお茶の間に家族が集合しなくなってくる。つまりデジタル(この場合只の電気製品だけど)が発達することによって家族の在り方そのものが変わってくる、親と子供の関係なんていうすごいアナログ的な部分が実はデジタルの発達によって徐々に変わってくる、デジタルってそういう事だと思う。もちろんもっと人間の生理的な部分にもデジタル化というのはどんどん広がっている。ただ別にそういったデジタル化というのが良いか悪いかというのは一概には判断できないけど、我々が目に見える範囲でのデジタル化以上に目に見えない所での、つまり生理的な部分や精神的な所でのデジタル化というのが急激に進んでいるという事実は僕達がちゃんと認識していなくちゃいけないレベルに来ていると思う。
 
僕が大学生だった頃、世間はマルチメディアとか言ったりファジーとか言ったり、まあ色々言ってましたけど要は「テクノロジーが発達すれば便利になるよ!」という売り文句だった。だけどテクノロジーの発達とかメディアの発達という事の本当の意味やそれが人間の生理・精神にどんな変化を及ぼしていくかといった事は誰も言及していなかった(少なくとも一般社会においては)、それを僕が知れる場所は唯一武邑先生の授業位だった、自分の大学の事を悪く言いたくはないけど少なくとも当時は来るべきデジタル社会についてちゃんと理解している教授・授業というのはうちの大学には皆無だった。もちろん当時は今程コンピューターやネットが一般的ではなかったし、今だにそんな入り組んだ話まで全ての人達が知る必要はないけど(僕がプロ野球の選手や現状について全く知らないのと同じ様に)、正直今だにデジタルあるいはメディアというものに関して殆どの人達は無防備すぎる気がするよね。まあ繰り返す様だけど、デジタル社会とかメディアってものが別に悪いという訳じゃなくて、僕なんかむしろすっげーオモロイと思ってるけど、ただデジタルとかメディアって物をちゃんと理解しないと危ないぞ!という気で一杯なんですよ。
 
学校では今後コンピューター等を導入した授業とかが盛んになるかもしれない、でも今でもその殆どはコンピューターの使い方を教えるとか、そういう技術面主体のものでしょ。だけど僕は今後本当に必要なのは『コンピューターの使い方』よりも『TVの見方』を教えることじゃないかと思う。
 
『TVの見方』と挙げたけど、『TVの見方』だけじゃなく『CDの聴き方』でもいい。とにかく今後はいわゆるメディアというものを通した情報と言うのが今までの比じゃない位に多くなると思う。その昔親が子供に教えていた事を僕らの時代は学校が僕らに教えていた、つまり僕らは学校なり教科書というメディアを通して多くの事を学んだ訳だ。これからはTVから子供が学ぶかもしれないし雑誌かもしれない。とにかくそういうメディアというものの影響が大になると思う、しかもかなり保証の無いメディアというものから学ぶようになると思う。だって例えばこのインターネットとかって何の保証もないわけでしょ。
 
簡単に言えば、昔の様に親から何かを学ぶんだったら、子供に嘘を教える親は居ないでしょ。でも『オンラインで自宅学習!!』なんてシステムで学ぶとしたら、いつそこへ何者が侵入して無修正ヌード画像を流すか分からないし、システムトラブルで違う答が流れる可能性だってある。つまりそこで子供達にメディアというもの、デジタルという事をちゃんと教えておかないと、その答やヌード画像をまともに受けてしまうわけでしょ。だから子供達に『コンピューターの使い方』を教えるよりも、『TVの見方』・『メディアとの接し方』を教えるほうが重要だと思うのですよ、僕は。TVを見てそれが全て本当だと思ったりしたら大変だよ!。
 
という訳で、今後のデジタル・メディア社会というのが一体どうなって行くのかは分からないけど、でも一つだけ言える事は、デジタルとかメディアとかをちゃんと理解していてそれとの接し方もちゃんと理解している人達は安全だけど、それを理解してない人は世の中が便利になればなるほどメディアやデジタルって物による危険にさらされる様になるんじゃないかな。そう思いますね、僕は。