season

先日季節外れのスイカを食べました。
ちょうど風呂上がりという事もあり、スイカをかじった瞬間にですね、なんつーか「夏ーー!!」って感じがしたんですよ、直感的に。
子供の頃、プールからあがった後にカブりついたスイカね、あの感じがめちゃくちゃしたんですよ。やっぱり人ってそういう匂いとか味とかで記憶がよみがえるでしょ。スイカをかじった瞬間にもうなんか頭の中「夏ーー!!」ってなったんですよ。
そこでまたも色々考えてしまった訳です「季節って大事だなーー!!」とかかんとかね。
季節感じる時ってなんか人間一番幸せな気がするんですよ、要は『SEASON』ですよ。
季節と言ってもただ単に春夏秋冬って事だけじゃなくね、季節感じる時って、結局その時その時の事を思いだしてるでしょ、それが幸せなんだろうね。「あの夏はこんな楽しい事があったなあ・・・」とか「去年のクリスマスはこんな事してたなあ・・・」とかね、それは楽しい想い出だけじゃなく「あの頃は大変だったけど、よくがんばったなあ・・・」とかね、そういうのをふとした事で思いだす瞬間、それはスイカをかじった時だったり、梅雨時になってジメジメした空気を感じた時だったり、あるいはタイの空港に降り立った瞬間だったり、そういうふとした時に昔の事を思いだす瞬間ってすごく気持ち良くない?
最近僕という人間は、まあ最近といっても昔からなんですが、そういう意味では昔から何も変わってないんですが、、、ブツブツブツブツ、、、、えと、ちょっと独り言入りましたが、要は最近ですね、昔ながらに「人ってなんのために生きてるんだろう?」「この一生にはどんな意味があるんだろう?」なんて事を考えてるんですよ。
まあそれを言い出すとまた長くなるというか、大変な所に入っちゃう時もあるんで、今日のところはほんのさわりだけ今回の『SEASON』ってテーマに合わせて小出しにしますが、とにかく我々の一生におきまして『思いだす』って事がすごく大事な事だと思うんですよ。要は思い出せるかどうかって事がね。
最近特に思うんですけどね、結局終わってしまった事に関しては、悪かった事でも良かった事でも一緒というか、思い出せるかどうかなんだよね。まったく何もなくて思い出せない時期よりは、すごく大変な問題があった時期でも「あん時はホント最悪だったな・・・」とかって後で思い出せる方が全然いいんだよね。
極端な話、一生何もない人生ってどうですか? すごい極端な例で言えばね、生まれてからずっと真っ白な小さな部屋で何も起こらないとしましょうよ。例えば食事とかも食べなくても全然生きていけるという設定にしましょう。そんな人生どうですか?
それって意味ないよね? 世の中には食べるのにも困ってる人達って沢山いるし、それ以外にも様々な苦労をしてる人はいると思いますよ。そんな人生に比べたら真っ白な部屋で何もしなくていい、食べ物にも困らないとしたら、そっちの方がある意味良い気もするけどね。でも絶対そうじゃないよね、例えどんなに悪い事でも、どんな苦労でも、とにかくなんかあった方がいいでしょ。何も起こらない、何も思い出せない、それじゃ生まれて来た意味ってないでしょ。
要はねすごく大まかな言い方ですが、『想い出の量=人生』なのかなって思うんですよ。それは良い想い出だけじゃなく悪い経験、つらい時期とかも含めてね。それって最近流行りの『ひきこもり』(俺も微妙にそんな時ありますが・・・)とは全く逆の発想だと思うんですよ、外に出て、他人と接して、何か起こってナンボって事ですよ。
だから季節とかってすごく大事だと思うんですよ、そりゃー住みやすさを考えたら、1年中春とか夏っていいですよね、雨が降らないとかね。ロサンゼルスとかってわりとそんな感じだから、老後なんかにはすごく良い所ですけどね、でもやっぱり季節がある、晴れてる日もあれば雨の日もある。そういう方が想い出の量って増えると思うんだよね。窓の外のRAINを見て「あの時も雨だったな・・・」なんてあの頃の事を思いだしたりだせなかったりする。そういうの大事だなって。
スイカだって1年中食えたんじゃ、「嗚呼、あの夏って・・・」なんて思いださないですよね。やっぱね『SEASON』なんですよ、要は。春夏秋冬もそうだし、喜怒哀楽もそうだし、人の一生自体ね、『SEASON』あっての事だなって。
そういう意味では僕も冬の時けっこうありますよ。わりと僕とか常夏男みたく見られるんですけどね、1年中パーティーやってるような、でも実際はそうでもないんですよ、僕の中にも春もあれば秋も冬もある。晴れてる日もあれば豪雨の時もありますよ。でもそういう『SEASON』があるから、また想い出が増えるんだろうね、そして想い出が多ければ多い程この一生は意味があるものになるのかな・・・・なんて思ったり思わなかったり、、、ブツブツ。