1998年にホームページで始めた僕の『TALK SHOW』というコラムですが、2006年で新作が途切れていました。
途切れた理由は、とても単純でそれこそが<僕>ということでしょう。
僕はなんでもそうなのですが、移り気でなかなか飽きやすく、最後までものごとが続けられない性格なんです。
BANK$に幻のセカンドアルバムがあることはファンの人の間でも有名ですが、ボーカル以外のレコーディングは全て終わった10曲以上の曲が、完成・リリースされないまま眠っていたりします。
ホフディランでも、実は結構なリリースされていない新曲があって、その中で『夜を越えて』とか『歳とることさえ』なんかはライブでは披露するところまで行きましたが、それ以外にもレコーディングしたけど結局その後手をつけてない曲、オケはできてるのに歌を入れずに止まってる曲、デモテープ状態の曲、最後の1行だけ詞ができてなくて完成してない曲などなど、眠ってる曲が沢山あります。
さらにこの<TALK SHOW>なども書いたけど発表しなかったコラムがあったり、作ったのに発表しなかったPV(マナマナ)や、作ったのに公開されなかったwebページなど沢山あります。
それらは単に個人で趣味で作ったわけではなく、スタッフ・関係者も関わって制作費もかけて作ったものも多いので、変な話、発表してなんらかの成果や収益をあげないと意味ないのですが、どうしてかそこまで行く前に、まあいいかってなって未発表になってしまうことが僕にはすごく多いのです。
そうやって<僕>の最後まで続かない性格から幻となってしまってる曲や文章や作品が、あっちのテープ、こっちのハードディスクなどに沢山眠っているという訳です。
どうしてこうなってしまうんだろう?というのをあらためて自己分析してみると、
もちろん移り気で飽きっぽい性格というのもあるのですが、よくよく考えてみると、僕にとってはその眠っている作品たちも、発表された作品も、同じ<作品>として自分の中にあるんですね。
分かりやすく言えば、CDになった曲も、まだ誰にも聞かせていない頭の中の曲も、僕自身にとっては同じ1曲として頭の中で鳴っているのです。
なので、たとえその曲を結果的にリリースしなかったとしても、自分にとっては同じってところがあるのです。
例えばですが、ホフのCDは海外ではリリースしたことないのですが、だからといって日本のホフのファンはそこはどうとも思わないですよね、自分たちは聴けてるわけだから。
極論言えばそれと同じなのです。
僕は聴けるわけだから、リリースされてなくても同じ1曲なんです。
ある曲は全世界で売られている、ある曲は日本だけで売られている、ある曲はライブ会場だけで売られている、ある曲は自作テープで近い友達にしか渡されてない、ある曲はまだ頭の中で自分しか聴けない。
でも、どれも同じ1曲なんです、本人にとっては。
もちろんだからといって誰にも聴かれなくてもいいとか、リスナーのことを考えてないとか、そういうことではありません。
むしろ僕はどちらかといえば曲を作るときに常に聴き手のことを考えて作るタイプです。
ただ、まずリリースありきで(もっとはっきり言ってしまえば商売ありきで)曲や文章を作ってないことが多いんですね。
生活していて、ちょっと面白いアイデアやメロディーが浮かぶ、ものによってはそれを残しておく。
そうして残った沢山のアイデアの中からものによってはデモテープなんかの形になる。
さらにその中から正式にレコーディングするものもある。
そこで終わってしまうものもあればライブで披露されるものもあるし、CDになってリリースされるものもある。
つまりCDになった曲は、「たまたま」運良くCDになれただけなんですね、最初からCDになることを想定して作ったわけではない。
そのCDになった曲がさらに運良くなにかのタイアップ曲になることもあれば、ラジオでかかることもあるし、日本中で聞かれる曲になる場合もあれば、もしかしたら世界中で発売されることもある。
でもそれはあくまで結果としてそうなっただけで、最初から世界的ヒットを狙って作ろうなんてこともないし、逆にリリースさえされなかったとしても僕にとっては同じ1曲なのです。
コラムも一緒、もちろん雑誌連載など載るべき場所と締め切りが決まってて書くものも沢山ありますが(今、連載だけで5誌もやってるのです!)、それと別に日々色んなことを思い記憶し、時にはメモで残し、時にはしっかり文章に書いておいたりする。
それがどこかの誌面で発表されることもあれば、ラジオで喋って発表されることもあれば、自分のホームページでTALK SHOWになることもあるし、全くどこでも発表されない場合もある。
でも、僕の中ではそれらは全く一緒なわけです。べつに最初からコラムで出そうとか、ラジオで喋ろうと思って日々考えてるわけではなく、純粋に面白いとか感じるものがあったから文章として残してるだけ。
極論言えば原始人が動物の壁画を描いてたのと同じようなもんです、彼らはどこかで発表しようと思って描いたわけじゃないですよね、それと一緒。
なので、ついついどこでも発表しないで、書いたけどそのまま僕だけが読んで終わり、というような文章も沢山あるわけです。
とはいっても、それは自分の性格をめちゃくちゃ都合良く解釈しただけの話で、はたから見たら単に物事を最後までできない男ということになるでしょう。
思えばこの性格は子供の頃からそうで、完成しなかった曲、描き途中の絵、治療しかけの歯、結末まで読まなかった本、最終話まで観なかったLOST。
そんなもので僕の周りは溢れていました。
そんな未完成な僕を初めて完成に導いてくれたのが、なにを隠そうワタナベイビーなんです。
<つづく>