ピアノレッスン最終回

<あらすじ>
とにかくひどい生徒を受け持ってしまい困った困ったという状況。
 
さて、そんな訳で発表会でのピアニストの座も、当然の事ながら手にする事の出来なかった彼でしたが。それもあり、ピアノに対する情熱がどんどん冷めて行くのと反比例して、なぜか乗り物に対する情熱はどんどん上がって行き、ピアノ部屋には日に日に航空グッズやら鉄道雑誌やらが増えて行きました。
最初はあくまでピアノ部屋という感じだったのですが、日が経つにつれ、どちらかと言うと乗り物マニアの倉庫にピアノがあるというような状態になっていったのです。
鉄道の模型やら、飛行機のポスターやらに囲まれて「なんで俺こんなとこでピアノ教えてるんだ?」ってな感じになってきてるんですよ。明らかにピアノの方が浮いてんの、その部屋の中で。
そんなある日、このピアノレッスン史上、最大の珍事件が起こったのです!! いや、俺と彼のピアノレッスン史上というより、おそらくピアノ界、クラシック界、あるいは音楽界全体で見てみても極めて希(まれ)な出来事だと言っていいでしょう!
 
その日、僕はいつも通りピアノレッスンをするために彼の家を訪れました。正直もう「これ以上やってもうまくもなんねーだろうし、しょーがねーなー・・・」ってな、かなりの「どーでもいい感」を感じつつ、でもまあちょっとしたバイト代と、そしてメロンにカステラをもらえるってとこで(もちろん本当に毎週毎週同じおやつだった訳じゃないですよ・・・)、なんともすっきりしない気持ちで彼の家に行ったのです。
ピンポーンと玄関のベルを鳴らして入ると、珍しく彼が元気良く「先生どーもどーも!」とお出迎えに来たのです。
それまでは、だいたいお母さんが玄関まで来て、彼は先生が来てるっつーのに台所でなんか食べてて、俺が散々待たされたりとか、そもそも家にまだ帰って来てなかったりとか、とにかくすんなりレッスンが始まった事の方が少ないって位、ダラーっとしてた訳ですよ。
しかしその日は、実に元気良く玄関まで迎えに来たんですね。
そして「先生、すごいもの買ったんですよ!早くピアノの部屋来て下さい!!」って、もうすごい勢いでピアノの部屋に連れて行こうとしてんのね。
今まではなかなかレッスンを始めさせようともしなかった彼が、一体どうしたんだ?何をそんなに見せたいんだ??と不思議に思いながら、彼に連れられてピアノの部屋へと入ってみると、そこにはマジでビックリするものが、置いてあったのです!!
なんと、ピアノの椅子が、飛行機のエコノミーの2人掛けのシートになってたんですよ!!
飛行機のシートですよ!家の中に!!しかもピアノの真ん前に!
一体全体、これはどういう事か??と思ったら、なんか1年に1回位、飛行機の古くなった部品とか備品とかをマニアに向けて売るイベントが成田空港であるらしいんですよ。彼はそこに行って来て、どっかの航空会社のエコノミーのシートを買って来たんだって!(もちろん持って帰れるものじゃないですから、送ってもらったんだろうけど) いや、たまに航空会社の本社のロビーとかにファーストクラスのシートが展示してあったりするのは見た事ありますけど、少なくとも普通の民家の中で飛行機のシートってのは見た事ないっしょ? 突然リビングに飛行機のシートがドデーンとある訳ですよ!しかも2人掛けの!!
さすがに驚いたっつーか、笑いましたね。「なんじゃこりゃ???」って状況でしょ。
しかも、ピアノの前に置いてある事からもわかるように彼はこれに座ってピアノをやりたい訳ですよ!
飛行機のシートに座ってピアノ弾くなんて、聞いた事ないでしょ?しかも2人掛けですから、必然的に先生である俺は、空いている隣のシートに並んで座って教えなきゃいけない訳!!
なんで俺は地上にいるのにわざわざ飛行機のエコノミーのシートに座ってピアノ教えなきゃなんないんだよ!?って感じでしょ。もう俺も全く意味不明ですよ、我ながら。
しかし彼はとにかく嬉しいらしくて(そりゃまあ飛行機マニアにしてみりゃそうとう嬉しいだろうけどね)、ピアノ弾くのに安全ベルトまでしてるんですよ!「あ、ベルトしなくちゃ・・」って。
「いや、ピアノ弾くのってべつにそんな危険じゃないから、ベルトしなくてよくねーか??気流の悪いとことかも通んないからさ・・・」って感じでしょ。。。
結局、前代未聞の飛行機のシートに座ったピアノレッスンとなった訳ですが、無事(?)レッスンも終わりおやつタイムともなると、お母さんがカステラを持って来てくれたんですが、これ食べるのにシートの横から折り畳みのテーブルが出て来る訳ですよ、飛行機の前方の座席だけにあるやつね。あれ出しておやつ食べてんのね。。。
もうマジですごい光景でしょ。普通に陸地にいんのに、飛行機の座席に座って、シートの横からテーブル出しておやつ食べてんですよ、中学生と・・・。
ほんとね、おそらく今後も一生する事ないだろう体験ですね。飛行機のシートに座ってピアノを教えるなんて。
 
そして、その日以降の我々のピアノレッスンは、ずっと飛行機のシートに座っての謎のレッスンになった訳です。。。
 
そんなめちゃくちゃなレッスンも、週1回だったはずが、なんだかんだで休むようになり月3回になり、2週に1回になり、月1回になって行き、結局はいつの間にか自然消滅的に終わってしまいました。
最終的に3年位はやったのかな?ちょっと正確には覚えてないけど、後にも先にも僕がピアノ教師となって人にピアノを教えたのはその時だけですね。まあそういう意味では僕にとっても貴重な体験ではあったけどね。
今、彼がどこで何をやってるのか知らないけど、今でも彼とのレッスンを思い出すと、本当に笑っちゃいますね、それにしてもひどかったなあ・・・って。
まあこれで彼がパイロットにでもなってれば、最終的にすごく良い話ですけどね。いつか飛行機で地方行く時とかにパイロットが突然「先生、あの節はお世話になりました」なんて挨拶に来たりしたらちょっとかっこいいけどね。
そしたら今度は俺がピアノの椅子に座って飛行機の操縦を習ってみたいですね、逆に。
まあ、あの彼の事だからそもそもパイロットになってる事もないと思うけどね、ホントあの頃の事を思い出すと、楽しいやら情けないやらで、懐かしい思い出ではありますね、今となっては。
 
<終わり>