沖縄料理屋的

なんか最近東京に沖縄料理屋増えたでしょ。特に中央線沿線とか、下北沢とか、そこいら辺りに。
あれってね、ちょっと便利だからだと思うんですよ、沖縄料理ってものが。
どう便利かっていうとね、例えば女の子と飲みに行くのに「居酒屋行こ」とは誘いづらい人もいる訳ですよ、人によっては。俺なんかは全然平気で居酒屋でも立ち飲み屋でも誘いますけど、やっぱりそこは「居酒屋行こ」とは言いづらい場合ってありますよね、要はかっこつけたいってとこで。かといって、じゃあかっこつけて「イタリアン行こう」ってなるかというと、それはまた別問題で、そうなると予算的にも雰囲気的にもかなり違ってきちゃう。
なんかこうもっと気の利いたお店を知ってればそこでいいんだけど、そこまでお店に詳しくもない。あるいは何か明確に食べたいものとかがあるならそこに行くんだけど、そういう明確な食事でもない。
と、そこで「沖縄料理屋行こ」だったら、うまい具合に全て収まるんですよね。居酒屋に比べてそこそこお洒落だし、値段もそこそこだし(あまり高級沖縄料理というのは聞いた事ないしね)、バーとかと違って飲むのにも食べるのにもどちらにも対応してるし、焼き鳥とかの専門店と違ってメニューも肉から野菜までツマミも色々あるし、なんか分らないけどそこそこ美味しいし。
っていう「そこそこ感」が満載で、すごく便利でしょ、沖縄料理屋って。「おいしい沖縄料理屋知ってんだよね」なんて言うとなんかちょっとお洒落な感じ(感じだけ)するし、ちょっと美味しい物にはうるさいよっていう感じするでしょ、若いサラリーマン辺りがそういう事言うとさ。でも実際にはそういうそこそこな感じが沢山あって便利だから行ってるだけな気がするんだよね。
それにそもそも沖縄料理自体が東京の人にははっきり分らないから、正直美味しいのか美味しくないのか、値段が安いのか高いのか、材料や作り方が正式なのかどうか、今いちよく分らない。沖縄の人だったら、一口食べて、ここは美味しい、ここは高い、これの作り方はインチキだ!とか分るんだろうけど。東京の人はそこまでは分らない。だから逆に、多少まずい店に連れていったとしても、なんとなくバレずにすむ。
そういう色々な便利さでこんなに沖縄料理屋が東京に増えているという気がしてならないんですよ。要は、色々と使いやすいお店って事ですよね。
でも考えてみると、こういう『沖縄料理屋的』なことって身の回りにすごくあるでしょ。
例えば『お台場』
俺、ホントお台場ってまさに『沖縄料理屋的』なものだと思うんですよ。
『そこそこ感』の固まりというか、ちょっとしたリゾートみたいなね。
休みの日に海外まで行く訳じゃないし、近所で散歩でもない、ちょっとお台場まで行くっていう感覚。
そこそこお洒落だし、そこそこファミリーだし、そこそこ安くて、そこそこ高級っていう。いやホント、そこそこのデートにはそこそこピッタリな訳ですよね。
あるいは『スターバックス』
これも実は、やっぱりそういう『沖縄料理屋的』な便利さだと思うんですよ。全てがそこそこという感じ。そこそこ美味しいし、そこそこ安いし、逆にそこらのコーヒースタンドに比べるとそこそこ高いし、そこそこお洒落だしっていう。まあその他にも色々と便利な要素が多いですよね。
つまり最初からスタバも「味で勝負!」とは考えてないだろうし、もちろん「安さで勝負!」とも考えてないでしょ。あくまで全てがそこそこのラインでみんなが使い安くしてるっていう。だからあそこまで広まったんでしょうね。
もしかしたら、スタバがもうちょっとお洒落になったり、それこそもうちょっと値段を安くしたりしてたら、今みたいに当たらなかったかもしれませんね。今みたいな『そこそこ感』が一番良いんでしょうね、きっと。芸能人で言うとシブガキのヤっ君とか中山秀ちゃんとかですかね?全部がそこそこな感じで、番組的にはすごく使いやすいっていう。
世間を見渡すと、こういう『沖縄料理屋的』なものってほんとすごくあるでしょ。そこそこお洒落なお店とか、そこそこ美味しいレストランとか。あの『ゼスト』とか『モンスーンカフェ』とかああいうチェーン店とかって、ホントそんな感じじゃないですか、実に『沖縄料理屋的』なんですよ。
べつにそれがいけないとは全然思いませんけどね、僕も実際大勢で入れる店探してる時とか行くしね、やっぱり使いやすいから。
ただなんか、こういうなんとなく使いやすいお店ばっかりになっちゃうのって、なんつーか寂しい気がするんですよね。個性がなくなるっつーか、すごいマニュアル通りな感じでね。やっぱり色んな場所・色んな店・色んな遊び方を試してみて、そん中で色んな事を学んで行ったり、自分なりのやり方を見つけて行くのって大事じゃないかなと。
だからね、どうせ沖縄料理行くんだったら、いっそ沖縄まで行って現地のディープな沖縄料理食べてみるとかね。それこそ豚の丸焼きとかね、今さらゴーヤチャンプルなんて言ってないで。そういうのどうですかね? 近所の『沖縄料理屋的』な生活ばっかしてると、どこまでもそこそこな経験しか出来ない気がするんですよ、若者達が。