やっぱり地球は丸かった

台湾での大きな楽しみの一つは、夜な夜な開かれている夜市だ。台湾では毎日この夜市があちらこちらで開かれていて、日本人的に言うならば一年中町のどっかで縁日が行われているようなもんだ。とにかく食べ物の屋台から射的屋まで、毎日がお祭りと言ってよいだろう、しかも日本の縁日と違ってそれらの屋台は毎日夜中過ぎまで営業しているのだ。これはまあ夜型人間の僕のような観光客にとっては特に楽しいというか助かる習慣なのだ。

そんな台湾の夜市で僕が最も好きなのは、海賊ブランドもの探しだ。台湾にはとにかくありとあらゆる海賊ブランドが氾濫してて、本物をしっかりコピーしている物より、あえて「何これ?」っていう偽(ではあるが似てない)ブランド物を探すのがかなり面白いのだ。

この間、香港に行った時にその話をしたら、香港の事情通曰く日本で流行った物は半年後には香港で偽ブランドとして屋台で売られ、その半年後に台湾でそのまた偽ブランドとして流通するのだそうだ。つまり流行が日本to香港to台湾という流れで流れているらしい。

その後タイに行ってみると、タイはどうやら流行的にはそのまた後にあるような感じだった。つまり日本で生まれたファッションとかゲームソフト・ハードなんかが香港・台湾と巡って来て、その後タイでそれはもう一段と格安にコピーされるのだ(もちろん実際そういうルートで回る訳じゃないだろうけど、時期的な流れとしてね)。タイまで行くともう全然本物を装うつもりもなくて、完全に一つの新しいブランドとして成り立ってるというか、はっきり「偽物」と分かっていてもいかに安く作れるかという、半ば開き直り的な海賊ものになっている。実際タイの露天で売っていた時計を「これは本物か?」と聞いてみたら「本物じゃないけど、こっちの方が本物よりいいよ!!」と、訳の分らない事を言っていた。

話は飛ぶようだが、僕はローマで地元の若者に人気があるというアクセサリー屋に行った。そこは店主が1年に2〜3度インドに行って仕入れてきたアクセサリーを売る店なのだが、日本でもこの手の店って原宿辺りには多いよね。お店のバイヤーがインドやタイ、あるいはアメリカのインディアンの元へ買い出しに行ってそれを持ち帰ってこっちで売っているというお店。まあそんな感じの店にローマで行って、そこそこ可愛らしい物を買って帰ったのだね。

話はタイに戻って、バンコクで週末行われる市場(とにかく食料から衣類・ガーデニングまでなんでもあるすごく規模の大きい市場)に行ってきたんだけど、そこには僕がローマで見た物や、同じくニューヨークなんかで見たオリエンタリックな小物・アクセサリーがわんさかある。でもって実際日本やヨーロッパのバイヤーが買い付けに来ていた。つまりアメリカやヨーロッパの流行的に最先端と呼ばれる人達というのは、どこからエッセンスを得ているかと言うと、けっこうこういうタイやインドの文化なのだ。それはファッションだけじゃなくて、例えば音楽でも進んでる連中はすごくメキシコとかインドの文化なんかに興味を持ってたりする。

つまり大まかに流れを考えると、まずニューヨークで流行ったものがL.Aに来るとしよう、今度はそれを日本が真似する(というか影響される)、するとそれを香港が真似し、それを台湾が真似し、それをタイが真似する。そして今度そこで生まれたタイの文化にニューヨークの先端のデザイナーが影響されて。それをまたL.Aが真似して、、、、、、って続いて行くんだよね。つまり「やっぱり地球は丸かった」って事になるんだよね、世界中を旅して流行とかファッションを見ていると。

なんとなく世間の見方としては、ニューヨークなりパリなりロンドンなりが流行や文化の発信源で、そっから一方向的に流行が流れているような気がするけど、実はそんな事なくて、もうどこが発信源かなんて分らないんだよね。とにかく世界中がみんなつながって、流行とか文化はそこを回っているとしか思えないんだよね。アメリカとメキシコの関係だけ見ても、一見アメリカが進んでてそれをお隣の経済的に貧しいメキシコが一生懸命真似してるって感じがするけど、まあ確かに表面上はそうなんだけど、実際はさっき言ったようにミュージシャン(例えばベック)だったり色んなアーティストって深い所でメキシコ文化の影響をすごく受けていたりする。メキシコから得た物をアメリカで新しいカルチャーにして、それがデカくなると今度はそれにメキシコが影響されるっていう、やっぱり円なんだよね。

世界中を旅していると、結局どこかがすごく流行や文化の先端っていうことはなくて(もちろん単に技術的に先端っていうのは電子機器の分野なんかではあるけど)、世界中をつなぐ見えない線みたいなものがあって、そこの上を流行なり情報なり文化なりが巡っているだけっていう気がするんだよね。それでその流れに乗るも乗らないも我々次第で、乗ったから先端行ってるとか乗らなかったから流行遅れとかもなくて、その円は結局つながってて、いずれは同じ波がまたやってくるんだなあって思うんだよね。

それはある意味このインターネットの世界に似てて(というかこっちがその模倣なんだろうけど)、ウェブ状につながる世界の中で、どこが文化の発信源かという事はもはやなくなってると思うんだよね。そういう意味で僕が世界中を実際に旅して思ったのは、このインターネット(WWW)というのは今後やはりすごいレベルで発展していくものだろうなあという事です。今まで僕らが例えばいくら輸入オモチャ屋に行ってアメリカのフィギュアを買ったり、雑誌やTVで海外の情報を手に入れたりしても、結局それらは一方通行の文化・流行の流れでしかなかったんだよね。だけどインターネットというのは僕が世界中を旅して感じた世界のつながりと同じように、世界をオンラインでつないでるんだよね。どこが発信地でもない、どこが終着点でもない、すべてがつながって回っている。例えば僕がネットで発言した事が世界中を回ってまた違う形となって僕の元に帰ってくる、そしてそれにまた僕が触発されてっていう、ずーっと止まらず回り続ける文化の輪、それこそ地球じゃない?

大袈裟な言い方かもしれないけど、僕は世界中を旅して、なんだか世界が丸い理由や、地球が回り続けている理由が少し分かった気がした。それはもっと大袈裟な言い方をすれば、仏教で言う輪廻みたいなものかもしれない。いずれにせよ、世界中がつながって巡っているという事はひとりひとりの自意識の問題になってくると思う。だってそれは自分がやった良い事・悪い事は全ていずれ巡り巡って自分に降り掛かってくるって事だからね。戦争を今だにやってるアホな国(の指導者)はどっちかが勝ちどっちかが負けると思ってるだろうし、ビジネスマンも自分の成績・あるいは自社の成績と他社とで争ったりしてるだろう。発展国はどっかよその国の森林を伐採して、どっか遠くにゴミを捨てれば良いだろうと思ってるかもしれない。でも絶対地球は丸くてつながってて、回ってるんだから。今そんなレベルで君達がちょっと得したとしても、それは絶対自分自身にいずれ降り掛かってくるのだよ。

やっぱり地球は丸かった

それが僕が半年間世界を旅して得たひとつの大きな結論なのです。