安全と安心

色々な国そして都市を旅していると本当にその土地その土地で治安っつーものが違うなあと実感するのですが、特にアメリカは「この都市のこの地域はこの時間は絶対行っちゃ駄目!!」っつーのがまあハッキリあって、それを守らないとまあまた来世で会いましょう!!っていう事になるんだねえ
 
そんな中で僕は『安全』と『安心』というのの違いについて考えました。よく日本は『安全』だと言われるし、アメリカやヨーロッパの国なんかは『安全』じゃないと言われますが、なんか僕が実際そういう国で生活をして思ったのは、人にとって大切なのはむしろ『安全』ではなく『安心』なんじゃないか、、、、という事です。
 
厳密に言うとこの世に『安全』なるものは存在しないのじゃないかなあ。つまり『安全』かどうかっていうのは結果論な訳でしょ、なにも起こらなかったから『安全』であって、いくら『安全』と言われている場所・行動でも何かあった瞬間に「本当に安全だったのか?」って事になる訳じゃん。「絶対安全と言われていた原子力発電所で、、、、」なんて毎回やってる訳じゃん。事件とかでも「普段は人通りの多い安全な住宅街なのだが、、、」とかある訳でしょ。そう考えるとやっぱり『安全』っていうのは結果論であって、本当に『安全』と言えるものは無いと思うんだよね。
 
治安が悪いと言われているアメリカのロサンゼルスやニューヨークとかでも、やっぱりそこにはルールがあって、そのルールを守ってる割にはそこまで危険ではないんだよね。逆に『安全』と言われている日本のそこら辺の街でも犯罪とかは日々起こっている訳で、一概にアメリカは『危険』とか日本は『安全』とかは言えないと思うんだよね。ただ僕が日本と海外を比べた時にやっぱり日本の方がいいなあと思うのは、そこに『安心』があるからなんだよね。
 
つまりどこの国どこの都市でも危険は蔓延ってるし、何をするにも絶対的な『安全』というのはないと思うけど、そこに自分なりの『安心』があるかどうかというのが大切なんだよね、人間としては。実際僕はアメリカで夜の街を1人で歩いたり、かなり危険と言われる地域に遊びに行ったりもしたけどとりあえず危険な目には合わなかった訳で、そういう意味では一応『安全』だった訳ですよ。でも僕が常に『安心』してたかっていうとそれは全くしてなくて、常に『不安』だったり気を張ってた訳だよね。夜の街を歩く時とかって、いくらその地域が『安全』と言われていてもやっぱり常に周りを気にしながらじゃないといけない。やっぱりアメリカとかには(少なくとも旅行者である僕にとっては)『安全』はあっても『安心』はない。逆に日本では、例えばどんなに危ないと言われている繁華街とか、実際『安全』ではない場所でも「まあ日本だし何とかなるでしょ。いざとなったら大丈夫だろ」っていう『安心』がある。
 
僕達はけっこうこの『安心』というのを求めているんだなあというのを、海外を1人で旅してるとすごく感じました。ちょっと極端な言い方をすると『安全』じゃなくてもいいから『安心』が欲しいって事になってくるんだよね。例えば今まで行った事のない街のモーテルに1人で泊まってる時、もしかしたらそこは『アメリカ一安全な街!!』かもしれない、けどそんな事は全く関係ない、やっぱ一人で知らない街に居るのは心細くて不安なんだよね。いくらそこが『安全』だったとしても、そこに『安心』がないと全然意味無いんですよ。それは別に治安とかだけじゃなくて、物とかでもそうだよね。その物が本当に『安全』かどうかももちろん大事だけど、それ以前に『安心』して使えるかというのがとても重要だと思うんだよ。
 
もちろん僕にとって日本というのは慣れ親しんだ国であるという事もかなり大きいが、それを抜きに考えてもやっぱり日本にはすごく色々な所に『安心』があると思う。アメリカとかは『安全』はお金で買えるけど、やっぱり『安心』は得れない。みんなそういう意味ではすっごくピリピリして生活してるからね、人を見たら泥棒と思えじゃないけどね、何年も(あるいは生まれてからずっと)アメリカに暮らしている人でもそういう意味では全然『安心』してないからね。人間にとって『安心』して生活出来るってすごく大切なんだなあって日本からアメリカに行くと思いますよ。
 
それは治安や物だけではなく、人間関係とかそういうのもね。ホント『安心』出来るってすごく大事だよね。僕は極端な事を言えば『安全』はなくてもしょうがないと思う。前にも書いた通り何にでもやっぱり多少の『危険』はつきものだし、特に僕みたいな人間は多少の危険を冒さないと満足を得れない性格というか、危険を冒してでもそれ以上の物を得たい!!と思う人間だからね。ただやっぱり『安心』はどっかにないと疲れちゃう。帰る家という訳でもないが、どっかに『安心』がないとやっぱり人は無理だと思う。色々な意味で『安心』出来る仲間と『安全』ではない事に挑戦する、みたいのが結構理想だと僕は思ってます。音楽なんかでもね、『安心』出来るメンバーとあえて『安全』ではない方向を切り開くみたいのが僕は好きですね。逆に本当は『安心』もしてないのに『安全』な事だけヌクヌクとやっているような人はいけませんよ。『安全』なんて本当は無いんだから、ちゃんと『安心』を持っておかないと君のその『安全』が崩れた時、そこには何も残ってないじゃない。