都会の孤独

僕は生まれた時からいわゆる都会(しかもホントそのど真ん中)に住んでたから、なんかちょっと人より冷静というか、かなり冷たい所があるみたいで、もちろんそれは自慢とかそんなんじゃなくて、それは良い部分もあるけど自分でも直さなきゃっていう部分も沢山あります。だから例えばメディアって物に対してもすっごく客観的というか、良く言えば騙されない・惑わされないし、悪く言えば突き放して接しているみたいなとこがあると思います。
 
そんな僕が中学生の時、すっごい面白い光景に遭遇した事がありまして、当時僕が育った渋谷とか原宿では街角でいわゆる『どっきりカメラ』みたいのをいつも撮ってたんだよ、『いたずらウォッチング』っていう番組とかなんだけど今でもやってんかな?分かんないけど。ホント毎日の様にそんな番組とか撮ってて、信号のある交差点とか人の集まる場所で、よく『ガラスの板を持って歩いてるふりをしている2人組』とか『いきなり知らない人に変な事を話しかける女』とかさあ、そんなんホントいつも街角に居た訳。それでその近くを見ると必ずカバンにマイクを入れて持ってる音声さんがくっ付いていて、ちょっと離れた所からカメラマンがその光景を撮ってる訳。ああいう番組って必ず原宿か渋谷とかなんだよね、あと信号のある交差点。信号待ちしてる人をひっかけるっていうパターンね。まあとにかくそんな番組とかが街角でいっつも撮影とかをやってる、そんな場所で僕は育った訳ですよ。だから何があってもビックリしないっていうか、ビックリしたら負けっていう思いがあったのね。まあ別に『いたずらウォッチング』みたいなTVの撮影をよくやってたからっていう理由だけじゃ無いんだけどね、キャッチセールスとかさあほんと子供の時から毎日見てる訳でしょ「あーあー又騙されてるよ、かわいそうに」って感じでね。普通の人が買い物なりデートなり、まあ大まかに言って『娯楽』を求めて来る場所に住んでた訳だからね、そりゃー色んな意味でその裏とか見ないでいい部分を見て育ってきた訳ですよ。だからホント『人を見たら泥棒と思え』じゃないけどそういう感覚は、自分の身を守るためっていうと大袈裟だけど、やっぱ普通の人よりは身に付いてたんだよね。だからさっきも書いた通り、何があっても「そう簡単にはビックリさせらんねーぞ」とかさあ「そう簡単には信用しねーぞ」「俺は騙されねーぞ!」っていうのがあった訳ですよ子供の頃から。
 
そんな幼少時代を送った僕が中学生の時、その事件は起こったんです。ある朝、いつもの様に駅に向かって少し小走りで歩いていたんだけど(遅刻しない様に)、その途中にある中華料理屋さんの前に僕は何やら怪しい物体を発見したんです。しかもその物体はどうも動いている様子で、まあつまり物体というか生物なんだよね。大きさにして20cm位のその生物は、ノソノソと僕の行く手を横切っているんですね。僕は「何だろうなあ?」と思いながら近くまで歩いてきて、その物体(生物)が何であるかをはっきり確認しました。なんとその物体(生物)は『蟹』だったんだよ!!
 
なんと生きている蟹が中華料理屋から逃げ出して、学校へ向かう僕の前をノソノソと横切ってたんだよ!!僕は内心かなりビビりましたね、蟹が中華料理屋から必死で逃げ出している、もちろん横歩きで。ホント内心かなりビックリしてましたね。しかしそこは都会っ子、次の瞬間には「そうだ、これは絶対ドッキリだ!!どっかに隠れて撮影してて、反応したら放送で使われて笑い者にされちゃう」ととっさに思った訳。だから僕はその蟹の横をあたかも「ああ、蟹ね、いつもここ歩いてんだよ。いつもの事だから全然ビックリもしないよ!」てな具合に通り過ぎたんだよ「蟹なんてこの辺ウジャウジャいるから今さら珍しくもないよ!!」てな具合にね。それってかなりおかしいよね、道端に蟹がいるのに全く反応しないって方がさあ、逆に不自然だよね、普通いるか?蟹が道端に。いつも蟹がいるって振りしてる方がおかしいじゃん、絶対。ビックリして飛び上がらないまでも、普通立ち止まって見る位はするよね、道端を蟹が横切ってんだからさあ。それを無視して通り過ぎる方が絶対おかしいじゃん。でも俺は完ペキに「これは絶対ドッキリだ」って気でいるからさあ、内心「立ち止まって見てえ〜〜!!」とか思ってんだけど完全に無視な訳。通り過ぎた後も「振り返って見て〜〜〜〜!!蟹だぜ!蟹!!」って思ってるんだけど、もう黙々と駅に一直線なの。マジで変な中学生だよね、道端に蟹がいるのを無視して小走りで一直線に駅に向かう中学生。そりゃー、逆にはたから見れば蟹以上にそいつの方がおかしいよ、凄い光景じゃない、中華料理屋から逃げ出す蟹とそれに気付いていながら全く気に止めずにひたすら駅へと向かう中学生。たまたまその光景を地方から来た人とかが見たらもう、どうなってんだこの街は?って感じだよね、この街ではこんなのが日常茶飯事なのか?って感じでしょ。
 
その後、僕は学校でもちろんその話をみんなにして、それから数週間TVでドッキリ系の番組があると必ずチェックして蟹が歩いている映像がないか、ずっと見てました。でも、蟹が道を横切るというドッキリはどこのTVでも流れませんでした。そう、あの蟹はドッキリでもなんでもなかったんだよ!!本当に中華料理屋から逃げ出していたんだよ!!僕が考えるに、たぶん朝一番でお店に食材を搬入する際にその中の蟹を入れている箱かなんかから一匹落としてしまったんだろうね、気付かないで。そこで蟹は「やったー!!今こそ逃げるチャンスだ!!」と思ったかどうかは知りませんが、とにかくお店とは逆の方にせっせこせっせこ逃げて行ったんだろうね、そこへたまたま僕が通りかかった。いやこれはマジで一生に一度あるかないかの(普通は無い)物凄いタイミングだよ。蟹が「殺されてたまるか!!」とばかりに中華料理屋から逃げ出すのに遭遇するなんていうのは。そんなすっごいチャンスを僕はみすみすと「どうせドッキリだろ!」って見過ごしてしまったんだよ。ホント今となっては悔やんでも悔やみ切れない話だよね。あの蟹を捕まえて学校に持って行っていたら・・・・。柱の影からあの蟹にビックリしていく通行人を眺めていたら・・・・・。あの蟹を持って帰ってカキ油とか豆板醤とかを使って炒めていたら・・・・・・。僕はもっともっとあの蟹を楽しむ事が出来たのに、都会という冷たい世界で育ったが為に僕はそんな重大なチャンスを逃してしまったんだ。
 
いやいやホントにもったいない事をしたね。でも今考えてもやっぱ僕はそういう子供だったんだよね、今だにそう。自分以外信じてないっつーと言い過ぎだけど、たぶん他の人よりかなりその壁みたいのが高いと思うね他人とかメディアに対して。例えば僕と渡辺君とかで比べたらやっぱ渡辺君の方が人見知りだし、実際初めて会う人とかに対して僕はそこそこ社交的だけど渡辺君はやっぱすっごい人見知りするよね。でも実際は僕の方が全然心開かないよね、渡辺君とかは最初人見知りするけど逆に慣れちゃうともう信用しきるっつーかそういうとこあるけど、僕はホントの意味では全く心開かないからね。別にどっちがいいとかは無いと思うけどね、僕みたいのと渡辺君みたいの(あるいは、どっちも駄目なのか?)。僕は自分がそういう人間ですっごく損してるとこもあると思う、友達とかはいっぱい出来てすっごくいいんだけどね、その本当の友達が出来にくいっていうんでもないけど、周りから見られる印象と本当の僕本人っていうのはどんどん離れて行ってると思うね、それに何より蟹を見放した訳だしね。
 
まあもしあの蟹があのままこの街のどこかで生き残っていて、下水道かなんかで相当大きくなってて、それこそニューヨークのワニじゃないけどそんな感じで伝説化してて、ある日僕の目の前の道を横切ったとしたら。今度こそ僕は心の底からビックリするよ、「げ〜〜〜〜〜、蟹だ!!しかもデッケ〜〜〜〜〜〜!!」って感じでね。その時僕は、今より少しは人々にも心を開くようになるのだろうか。