一生で一番

たまにラジオなんかで「一生で一番恥ずかしかった事は何ですか?」みたいな質問を受けることがある。そんなもん答られるわけないだろうよ!、一生で一番恥ずかしかった事をそう簡単にしかも公共の電波なんかで言えるとでも思ってんのか?。「人生最大の失敗」とか「今までで一番嬉しかった事」なんてのも基本的には同じだよね、そうやすやすと他人に話す事じゃないでしょ。まあそこはそれ適当にウケそうな事件でも言っときゃOKなんだけどね、ふと真面目に考えてしまう、すると結論は「そんなもん教えられるか!」になってしまうのだね。

『一生で一番○○』というのは悪い事であれ良い事であれきっと自分のなかで共通した場所に位置付けられていると思う。それはきっと人には言えないとかいうレベル以上に、自分でも思い出せないというレベルなんじゃないかなと思う。まあ『一生で一番悪かった事』とか、いわゆる悪い事系というのは単純に思い出したくないよね、心の奥底に仕舞ってしまう。アメリカなんかだと幼児虐待とかによる子供の頃の悪い思い出というのが原因で様々な犯罪だったり精神病であったり多重人格なんてのも起こっているよね。つまり悪い事というのを忘れ切れずに今度は自分が犯罪を犯してしまったり、逆に悪い思い出を忘れるためにもう一つの人格を自分の中に形成してしまったりする。まあそんな太変なとこまでは行かないとしても、なんであれ悪い事というのは隠したい忘れたいと思うのが普通だよね。

一方『一生で一番良かった事』というのはどうか。僕はこれも同じだと思う、つまりこれも忘れたい事なんではないだろうか。一般的に考えたら普通良かった事を忘れたいとは思わないよね。だけどよーく考えてみると、じゃあいざ思い出せと言われてもそこそこ良かった出来事は思い出せるけど一番となると思い出せないし、それ以前に何が一番なのか判断すら出来ない。一番良かった・嬉しかった事なら心の中にバッチリ記憶されているはずなんだけど何故か思い出せない。これはどういう事かと考えたら、つまりそれは忘れたいからなんだと思いました。例えば一番良かった事が『幼稚園時代の思い出』だったとする、もしそれが一番良かった事なり良かった時期だったとしてバッチリ思い出せたとしたら、今は一体何なんだと思うでしょ。もう戻れない過去が最高に良かったとしたら今現在はどうなんだ?これから残りの人生って何なんだ?って空しくなるじゃない。あるいは一番良かった事が『薬をやって最高のトリップをした』事だったとする、それを一番良かったって思ったとしたら、じゃあしらふの俺のこの生活は何なんだと思うでしょ、あるいは法を犯さないと最高の瞬間を迎えられない自分って何なんだと思うでしょう。つまり人間は最高に良かったことも忘れてしまうから「もっと良い事があるはずだ」と将来に希望が涌くんじゃないでしょうか。逆に言うと生きるために人は『一生で一番良かった事』をも忘れる様に出来ているんじゃないだろうか。

だから最初に言ったように、『一生で一番○○』というのはどんな事であれ自分の中で思い出せない場所に入っているんじゃないかと思うんです。そしてじゃあ一体その『思い出せない場所』というのは何処なのか?というのがとても重要な問題だと思うんだよね。その場所には数々の『一生で一番』があるわけだからもうもの凄い事になっていると思われる訳ですよ。そこには人生最大級の恥ずかしさもあれば最大級の悲しさもある、そして最大級の嬉しさプラス最大級の気持ち良さまで味わえる、しかしその後には最大級の自己嫌悪も待っているし最大級の悪い事も起きてしまうというとにかく凄い場所なんだね。きっと喜怒哀楽というものがむき出しで置いてある場所、そんな所なんだろう。もう今の僕らには想像もつかない場所なんだろうねそこは。

では一体そこは何処なんだ?、ガンダーラか?、と考えてしまう。しかしガンダーラではない、きっと。そこは何度も言う様に思い出せない場所なんだよね、つまり逆に言えば『絶対に思い出せない事』というのを考えればそこが何処か分かるわけだ、きっとそれがその場所なんだ。『絶対に思い出せない事』を思い出すというのも変な話だけど、実はとても簡単な事で僕らが『絶対に思い出せない事』『考えても絶対分からない事』というのは究極を言えばたった一つでして、つまりそれは『生まれた時』であり『死ぬ時』だろう。一つと言ったけどつまり生きるも死ぬも同じで人の『生死』という事だけは絶対に分からない事な訳だよね。もし人が何度も生まれ変わるとしたら(別の人に生まれるのであれ同じ自分に生まれるのであれ)僕らは既に『死』を経験しているハズだし、当然『生(生まれる)』も経験している訳だ。しかしその瞬間あるいは過程だけはどうしても思い出せない、だからきっとそこが『絶対に思い出せない場所』だと思う、即ち『一生で一番○○』の全てが集まっている場所だと思う、うーんこれは凄いよきっと。

ただそう考えるととても空しくなる、だってそこに全ての最高があるとしたら一体この人生はなんなんだ?、よく「人生は長いリハーサル」だみたいな事を哲学者かあるいはそこらの人が言うけれど、それは的を得た発言であると共にとても空しい話だと思う。僕の『昼・夜』という曲に「もし全ての疑問が今すぐ解けたなら、僕はもうこんな世界に寂しくていられないだろう」という歌詞があるけど、まさにそうだと思う(って自分で書いた歌詞なんだから当り前だけど)。たぶん僕達が死ぬ時、あるいは何らかの方法でその『生死』の部分に接した時、僕らは凄い事を思い出すことになると思う。それは最高に気持ち良い事であり最高に気持ち悪い事であり最高に嬉しい事であり最高に悲しい事であり最高に恥ずかしい事だと思う。僕らはそこへ向けて生きているんだろうか?。そんな事は考えたって分かるはずがない、分からないのがその場所なんだから。