TALK SHOW by Yuhi Komiyama

ピース

この間、原宿の街角で、ものすごく強烈にピースをして一人で記念写真を撮っている(正確には撮られている)30代くらいと思われる女性がいた。

撮影してる方の男性も、完璧に苦笑いで

(お前、そんなに必死にピースすんなよ、、、)
(年齢考えろよ、、、)
(写真撮るこっちが恥ずかしいから、やめてよ、、、)

という心の声が写真に怨念となって写り込みそうな、その位やり場の無い表情をしていた。

その、どうにも困った撮影者の男性の顔と、あくまでも満面の笑みでピースをして写ろうとしてる女性を見比べて思ったのですが

一体、あのピースは誰に向けてしてるんだろう??

というのも、その記念撮影をしてる場所自体が、なんでここで撮るの??というような、微妙な場所だったんですよ。

原宿の欅並木をバックにしてはいるんだけど、べつにそれ以上に有名な建物の前とか、キレイなウィンドウの前とか、そういうこともなく、単に原宿の道ばたなんですね。
そう思えば、そもそも原宿という街は、ハチ公とか東京タワーとか雷門とか、そういうランドマーク的なものがある街ではないんで、人が沢山いる割には記念撮影のしづらい観光地かもしれませんね。
表参道ヒルズだって、写真で撮ったところで単なる建物にしか見えないだろうしね。

まあとにかく、その女性は、なんでここで撮るの?って場所で満面の笑みでピースをして写真に写ってた訳ですが、思えばその写真、今後二度と見なくないですか?

まあ『二度と』は言い過ぎかもしれませんが、実際見るとしても1回くらいじゃないですか、自分の家に帰って一度くらい「この間の旅行の写真」なんつって見るくらいでしょ。

例えばこれが、もうちょっとニュース性のある写真だったりとか、久しぶりの友人と撮った写真とか、あるいは美味しいものの写真とかだったら、まだ人に見せたりなんらかの使い道もあるかもしれませんが、原宿のなんでもない街角で一人で写ってる写真なんて、そうそう人にも見せないですよね。

そう考えると、一体この人は誰に向かってそんなに満面の笑みでピースしてるんだろう?と。

この後、自分が1回見るか見ないかの写真でピース・・・。

逆に言えば、たった1回見る自分のために、そんなにピースをしてるってことでしょ。

なんで??

そもそも、自分に向かってピースしたってしょうがないよね。

そう考えると、そもそもカメラに向かってピースするのって、一体誰のためですか?

芸能人やアイドルがカメラに向かってピースするのは分かりますよ、その先にその写真を見る何百万人がいる訳ですから、ポーズとして何かをするのは当たり前ですよね。逆に何のポーズもなくボケーっとされてても困る。
それなりにしゃんとして、ピースでもニンマリ笑顔でも胸元アピールでも、とにかくなんかやって頂きたい。

しかしごくごく庶民が写真に写る場合は、それとは全く状況が違うでしょ。
言ってみればピースする対象がいないじゃないですか。
後から見るのは自分だけなのに、ピースしてどうすんだ?って話じゃないですか。

思い起こせば僕が幼稚園の頃、6つ年上の従兄弟から「写真に写る時はこうやって指を開いて、ピース!ってすんのがかっこいいんだよ」と教えられたのが僕の初めてのピース体験でした。
次の日、僕はさっそく幼稚園でピース宣教師のごとく(すごい仕事みたいですね)、みんなに「このポーズがかっこいいんだ!」ってピースを布教しまくったら、見事うちの幼稚園でピースが大ブームになりました。
写真に撮られる時はもちろん
朝、幼稚園に来たらまず、ピース!
イタズラが成功したら、ピース!
ジャンケン勝ったら、ピース! (注・チョキではありません)

とにかく幼稚園中がピースだらけになった訳です(実話です。先生と父兄の間で問題になったくらい流行ったのです。)
もちろんピースを誰よりも先にこの幼稚園に取り入れたことで、僕の株は上がりまくり、今で言うファッションリーダー、ちょっとしたピース長者になった訳です。

つまりその時から僕は、従兄弟に言われた「ピースはかっこいい」という教えをずっと信じて、あらゆる場面でピースしてきた訳です。ピースしたらなんかいいことがあるって。
でも、ふと大人になった今冷静に考えてみると、一体僕は今まで何のためにピースしてたんだろう??と。

ばっちりピースして写ったはいいが、その後現像もされず、当然見てもいない写真なんてのも沢山あります。
あのピースは一体なんのためだったんだろう?

僕は世の中にピースの無駄打ちをしてたんじゃないだろうか?
そんな疑問にかられてしまったのです。

誰かピースの意味を教えて下さい。

<2014年のあとがき>
我ながら面白いこと書いてますねー。
ほんと昔の文章を掘り起こすと、自分でも忘れていた、自分でもドキっとするような視点があったりして、自分で自分にライバル心が湧きます。
でもこういうことを思いつくのも、やはりきっかけは街でたまたま見かけた出来事からなんで、文章力云々とか発想力とかそういうことよりも、ある種の『運』というのが大切だなと感じます。
最近作ってる曲に<サボテン>の曲と<雷>の曲があるんですが、前者はたまたま図鑑でサボテンのページを開いて思いついた曲、後者はたまたまピアノの練習をしてたら窓の外ですごい雷が鳴って思いついたもの。
どちらもほんとにたまたまで、ちょっとタイミングが違えば生まれてなかった曲。

たまたまピースしてくれた女性、ありがとう!